神といい仏というも天つちの
誠の中にすめるいきもの(御歌九九号)
この御歌の「神」は、八百萬神のことを仰っていて、神様、仏様は全て、「天地の誠」すなわち、天照大御神のご神徳の中に住んでいる活物(生命体)であるということをご教示下さっています。また、「『誠』は『いきもの』」(御教語)とも御教え下さっています。
大御神様は全てのいのちの根元の親神であり、八百萬神は大御神様の尊いおはたらきの現れということです。神仏の個々の徳にとどまらず、その大元である大御神様(誠)に心を向けなければならないのです。
ここに示されている「神仏」とは何かを、端的にお示し下さっている御歌があります。
神仏おのが心にましますに他を祈るこそあわれなりけり(御歌一〇二号)
この御歌にある「神仏」は、八百萬神であり「大御神様のご分心(わけみたま)」です。私たち人間は皆、等しくご分心をいただいているにもかかわらず、それを知らなかったり、気付かなかったり、さらに知っていても忘れてしまい、ただ外に向かってだけ祈ることは、何とも哀れなことだとの意の御歌です。
人間は「ご分心(活物)をいただく神の子」ですので、その自覚が得られるようにつとめるべく、神の子にふさわしい生き方をしなければなりません。そのためにも、外なる神を拝むことだけに終始するのではなく、内なる神(ご分心)の御声(ご啓示)を聴いて生きていきたいものです。
その御声が聞こえるようになるには、御日拝をつとめ御陽気をいただき、お祓いを上げて心を澄ますことです。そうなれば、時間空間を超えて大御神様の御声が聞こえ、ご神徳をいただけるのです。有り難いことに、私たち道づれには、そこのところを教祖神が御教え下さっています。教祖神の御教えはまさに天言であり、大御神様の御声であります。
ですから私たち道づれは皆、「学び徒」として御教えを一つでも多く学びつとめていくことが肝要です。また、大御神様の御心は「誠」ですので、教祖神の御瀬踏(ご案内)に従って日常のあらゆることに誠を尽くすことが、神の子にふさわしい生き方となり、〝ご分心を養う道〟となります。共々に誠の中に住んでまいりましょう。