わがわれと思うわが身は天のわれ
わがものとては一物もなし
わがこころ磨くこころの有る人は
悪事さいなんはらいのぞけん(御文二四九号)
教祖神は「天命直授」のご体験を通じて、天照大御神は天地万物の親神様であることを感得し、「人間の『本心』は、大御神様のご分心(わけみたま)で、このご分心を痛め汚すことがなければ『天地の心』=『大御神様の大御心』と一体になる」という、大いなるお悟りを得られました。
そして、大御神様は全ての物を生かそう、育てよう、幸せにしよう、完全にしようと絶えずおはたらき下さっています。一方、私たちのご分心は生きよう、育とう、幸せになろう、完全になろうとはたらくもので、この両方のはたらきが合致するとき、私たちは本来の人間の姿になります。ご分心をいただく神の子としてふさわしい人間となるのです。
「わがわれと…」の御歌は、この自分を自分の物と思っているそのわが身は、天からの授かり物であって、この世の中には自分の物は一つもないとの意味です。私たちの思惑(知恵や計らい)とは身(形の上の利益)のためで、心のためにはならず、ご分心を養うことが大事であると御教え下さっています。
一方、「わがこころ…」の御歌は、わが心(ご分心)を磨く心のある人は、悪事災難を祓い除けることができるという意味で、大御神様は一切万物をお生み出しになり、お生かし下さいます。その大御心に背かぬように、つとめていけば〝開運の道〟が開けてくるのです。
いわば、大御神様と一体になり、生命の原点に帰れば、全てが生きて何事も成就すると仰せになっています。要は、大御神様にお任せすることです。大御心をよくよく考えた上で、善を行って悪を去れば神人一体になって開運するのです。
我見、我情、我意を去って誠になり切れば、無心となって〝天心〟となります。「捨我一誠」、「養無一誠」になって、誠心いっぱいに事に当たることが大切です。
なお、「開運」とは、病気が治ったり、願いがかなったりするだけでなく、悪事災難が避けてくれることであることを、しっかり心に止めて下さい。