誠ほど世にありがたきものはなし
誠一つで四海兄弟(御文一四一号)

  今月の御教えは、教祖神が天保十三年(一八四二)、参勤交代で江戸詰の尾関丈五郎大人(岡山藩士、四百石)に出されたお手紙(御文一四一号)に記されている御歌です。尾関大人はこの前年に、大病のため生死の関頭に立ちましたが、教祖神の御教えとお取り次ぎにより起死回生のおかげを受けて本復。江戸詰がかない、元気につとめていることを、教祖神はわが事のようにお喜びになっています。

 この御文一四一号には、本復した尾関大人が特に心掛けるべきところをご教示下さっています。

 「まことに、日月四海を照らし給うに、少しもお苦しみなく、道はその日月よりいでたる道にござ候えば、つとまらぬと申すことはござなく候。そのための道にござ候。くれぐれも、ただありがたきと申すこと、お忘れ遊ばされ申すまじく候。小子においては、毎朝一度も忘れはつかまつり申さず候。お約束通りにつかまつり候。時に一首。

 誠ほど世にありがたきものはなし誠一つで四海兄弟」

 「まことに、日月(天照大御神)が四海(全世界)をお照らしになるのに少しのお苦しみもなく、道はその日月から出た天地自然の道ですから、つとまらないということはありません。そのための道です。くれぐれも有り難いということをお忘れなさってはなりません。私の方では、毎朝一度も忘れずに、お約束通りに御日拝をつとめて、あなたのご無事を祈っています」と明言下さった上で、「私たちがいただいている“本心(ご分心)の誠”ほど、この世において有り難いものはありません。この本心の誠は、大御神様の御心ですので、〝誠一つで〟世界中の人は皆、兄弟姉妹となります」との意の御歌を詠じられています。

 それにしても江戸時代の“国”といえば、“藩”を意味していて、“日本国”という国家観は一般的ではありませんでした。今日いうところのグローバル(地球規模)な観点に立って詠まれた、実にスケールの大きな御歌です。誠とは、まることであり、大御神様の御心であり、そして私たちのご分心です。来る令和三年も「活かし合って取り次ごう! 〝まること〟の丸い心 丸いはたらき」の修行目標をしっかりつとめてまいりましょう。