まるき中に丸き心をもつ人は
かぎりしられぬ○き中なり(御文一三六号)
今月の御教えの御歌は「まるい天地、まるい大御神様の中に住んで、丸い心を持つ人は、限りのない○まるい天地、限りのない○い大御神様と一体である」という意味です。
この御歌の前文に「毎朝日拝にお目にかかり候つもりにござ候」と、教祖神は「毎朝、御日拝においてあなた様にお会いするつもりでつとめていますので、どうかそのことをお忘れなくおつとめ下さい」と御日拝の心構えを参勤交代で江戸詰めの尾関丈五郎氏(岡山藩士四百石)にご教示になっています。
そして、お道は○いものであり、他に言いようがないと仰って、浮かびのままに御歌を詠じられて、その後にご説明下さっています。
「この歌の心が〝生き通し〟のところです。天照大御神の大きなご神徳に対して限りをつけてはなりません。まるき御神(天照大御神)は年を取られません。少しの間も大御神様の有り難きことを忘れないようにして下さい。面白いこと、嬉しいこと、苦になること、悲しいことも結局は心一つの用いようの結果です。天照る御神へのご信心は少しの陰気な心も嫌います。ほんの少しの間もご油断なさってはなりません」と。
いわば、大御神様の生き通し(無限の生命)のご神徳と一体になることによって、大御神様のご分心(わけみたま)をいただいているお互い人間も生き通しのご神徳を身にいただくことができるとのお諭しです。
ところで、「幸福感が無ければ幸福にはなれない」といわれます。人目には大変恵まれた境遇であっても、その人に「幸せだなぁ…」という幸福感が無ければ、幸福ではないということです。また、健康な人ほど、その健康の有り難さに気が付かないものですが、健康を失って初めて、その有り難さに気付き、本復すると健康であることの幸せをしみじみと感じ、そこに感謝の心が湧いてきます。先年、教主様が詠じられたお歌に
「ありがとう」反対ことばは「あたりまえ」
心なおしてありがとうなる
があります。「かぎりしられぬ○き」心を養ってまいりましょう。