復興に向けた宗教者円卓会議in福島

平成25年7月号掲載

 去る5月13日と14日の両日、(公財)WCRP(世界宗教者平和会議)日本委員会(教主様は評議員、私は理事)主催の「復興に向けた宗教者円卓会議 in 福島」がコラッセふくしま(福島市)で開かれ、私は2日間を締めくくる「全体のまとめ」のセッションの座長をつとめました。福島県内で東日本大震災の復興に取り組む宗教者、行政担当者、医師、NPO(市民ボランティア)、およびWCRP日本委員会委員の諸宗教者ら80余名が出席し、先行きの見えない厳しい現状と課題について意見が交わされました。
 「福島の課題」をテーマにした第1セッションでは、相馬市の青田稔総務部長が震災発生当日から今日(こんにち)までの同市の取り組みを説明し、二重ローンなどによる「経済自殺」防止のための無料法律相談窓口の開設や震災孤児への奨学金制度、災害公営住宅の建設といった具体的な事例にも言及、次に、わたり病院(福島市)の齋藤紀(おさむ)医師が、「被ばくによる身体的被害のケアだけでは被災者救済にはならず、風評被害や賠償問題などから来る心理的・社会的ストレスまでのケアが必要」として、長期的な健康調査を行った上での冷静な対応の重要性を訴えました。引き続いて、全国曹洞宗青年会災害復興支援アドバイザーで龍徳寺(伊達市)の久間泰弘住職が、除染した放射性物質の仮置場として土地を提供した人が実は周囲の圧力で不本意ながら提供していた例を挙げて、原発事故に伴う「一種の社会暴力」による被害者の問題と、補償金の格差などによる地域の分断や崩壊が深刻化している現状を報告し、「宗教者の役割を問い直す必要がある」と述べました。
 第2セッションは「精神的ケア」がテーマで、避難生活を送る人たちの様々(さまざま)な窮状報告が行われました。福島県社会福祉協議会の大川原公年事務局長による今までの活動報告に続いて、飯舘村前田行政区長で福島県酪農業組合監事の長谷川健一氏、県内自主避難連絡会の酒井信裕代表、南相馬市の田中徳雲曹洞宗同慶寺住職らが厳しい現状を発表し、被災者も支援者も疲弊が限界に達していることを明らかにしました。
 会議2日目の第3セッションは、「原子エネルギーと倫理性」がテーマでした。曹洞宗盛林寺(福島市松川町)の岡野定丸住職は、原発事故以前から長年にわたって自主的に行ってきた調査結果と、事故後に多くの地元住民の放射線被害に関する相談に乗ってきた実例に基づいて、いわば“理論武装した宗教者”として原子力エネルギーの危険性を強く訴えました。続いて、3名のNPO代表が日々の取り組みを紹介し、最後に島薗進前東京大学大学院教授(現上智大学教授)が、「犠牲になる人が声を出せないような弱い立場に置かれている」原発システムの在り方を指摘し、倫理的観点からの宗教者の行動力に期待を寄せました。
 今まで紹介してきたのは、予(あらかじ)め事務局から依頼を受けた発表者の発言要旨で、それぞれのセッションで二時間近くの自由討論が行われました。行政担当者、医師、NPO代表、そして福島県内外の宗教者による公開協議の場は前例がなく、自由討論は被災地福島以外の者には口をはさむ余地など、とてもないほどの熱い意見が交わされた時間となりました。
 そして、私が座長をつとめた最後の第4セッションで「全体のまとめ」が行われました。実は、会議初日の5月13日は、先代の五代教主様の40年祭と、私が教務総長として初めて出席させていただいた「高級教師会」総会(この総会をもって「天結(てんゆう)教師会」と名称変更されました)が行われた日でした。教務優先のため福島入りできるのは初日の夜になることを伝えて、無責任なことになるので座長職の辞退を申し出ていたのですが、「ぜひとも…」と懇願されて、結果的に最終セッションの座長という大役を引き受けていたのです。
 福島に到着した13日の夜は、白熱の議論になった会議初日のやりとりを事務局スタッフから詳しく聞いて、意を決して最終セッションに臨みました。
私が重きを置いたのは、本音で語り合えた会議の意義と、わずか2日間で解決できるような問題ではないことの確認、そして、口をはさめなかった福島県外の宗教者の声を少しでも多く引き出すことでした。おかげさまで、県内外の様々な立場の出席者からの意見・感想・決意等が次々と発表され、今回の円卓会議をこれからの復興支援のスタートにしていく方向性を打ち出して、「全体のまとめ」は無事終了しました。数々の出席者から御礼の言葉をいただいて安堵(あんど)したことですが、苦しんでいる人々のことを思うと喜んでなどいられません。これからもお役に立てることをしっかりつとめてまいらねばと、心を新たにさせていただいた福島での会議でした。