追われし鬼を福にみちびく
教主 黒住宗道

 教祖宗忠神の数ある御逸話の中でも名高い「福は外、鬼は内」は、ご存じの方も多いと思います。

 宗忠神ご在世中のある節分の日に“鬼やらい”の豆まきを終えたことを報告された奥様に、宗忠神は「今年は、格別に有り難かった」とおっしゃいました。「格別とは…」と尋ねられる奥様に、「『福は内、鬼は外』が、いつの間にか『福は外、鬼は内』になって、それが実に面白く、格別に有り難いと思ったのだ」とお答えになりました。あわててお詫びして「やり直し」を申し出られる奥様に対して、宗忠神は次のようにお話しになりました。

 「やり直しどころではない。今夜は、どの家からも鬼は追い出されて寒さで震えていることだろう。一軒ぐらい温かく迎え入れる家があってもよいではないか。また、どの家も福を取り入れようと懸命になっているが、それではせっかくの福も少なくなってしまい、結局はホンの少ししか来ないことになろう。これも、一軒ぐらいは福をよそに譲る家があってもよいではないか。心配はない。もしも鬼が内に入ってきたら、その鬼を福に導いてやろう。ハッハッハ…」。

 こうした、ご夫婦のやり取りの中でお詠みになったのが「鬼追わず福を求めず我はただ追われし鬼を福にみちびく」の御歌(伝御神詠)でした。

 奥様の過ちを心温かく受け止め、しかもそこに尊い天の御教えを悟り、病苦災難という「鬼」を切って捨てるのではなく“善導”する一方、「福」を惜しみなく他者に与えられる宗忠神の御姿は、「活かし上手になれ」と「まること」の御教えを日常のご生活の中に体現して下さった尊いお手本です。同時に、「祓いは神道の首教なり」と説いて常の祓い・心の祓いの一大事を御教え下さった“祓いの神髄”を、この御逸話から学ばせていただけます。

 教主就任に際して発表した「告諭」の中で、私は「互いの誠を活かし合う」という“在るべき姿”と、「天照大御神の御徳(日の御徳)を取り次ぐ」という“為すべき行い”を、立教三世紀を歩む黒住教の二本柱として示しました。そして、二年ごとに掲げる修行目標を「活かし合って取り次ごう!」と冠を付けて、まず“敬神崇祖”の大事を呼び掛け、三年目の今年から“まること”を取り上げました。今後も「活かし合って取り次ごう!」を合言葉に、お道づれ(学び徒)各位の“元気”を喚起したいと思っていますが、喜び(福)は更に有り難く皆で共有し、苦しみ(鬼)さえも有り難く受け止めて喜びの元に展開する「活かし上手」を、“まること”を基本精神(モットー)とするお互いの信仰生活の基本姿勢にしたく願います。

 今年も、寒の入り(小寒:今年は一月六日)から寒の明けまでの「寒中お祓い献読(寒修行)」を有り難くつとめ終えた二月三日、宗忠神社において「節分祭」が賑々しく執り行われ、翌二月四日の立春の吉日(今年は大安)を迎えました。

 実は、今年の節分の日に、私は前例のないことを実行しました。二月三日の午前中に行われた「最上稲荷」の「節分豆まき式」に、羽織・袴姿で参拝・参加させていただいたのです。

 日蓮宗最上稲荷山妙教寺の初詣と節分の賑わいは岡山を代表する風物詩として知られ、私は「せめて節分行事に、一度参加できないものか…」と以前から考えていました。と申しますのも、最上稲荷さんは、私が世話役の事務局長をつとめる人道援助宗教NGOネットワーク(RNN)発足当時からのメンバーであり、山主の稲荷日應師とは個人的にも長年の面識があるのですが、“両参り”された参拝者の方々から先方の話を耳にすることは一切ない不自然さを常に感じていたからでした。

 昨年八月にドイツで開かれた「世界宗教者平和会議世界大会」(本誌令和元年十月号既報)への日本使節団副団長としての出席や、同十一月のローマ教皇フランシスコとの広島での国内宗教者代表の一人としての面会(本誌本年一月号既報)等で紹介されていますように、異なる宗教との交流・協力は、分断と対立の進む国際社会では大いに必要なことであるとともに、私にとっては当たり前の行動です。国内や県内で更なる積極交流を図るべきかどうかは別問題として、“大人の忖度”を要する面倒な問題と誤解されているなら、“大人の付き合い”を示して、さっさと拭い去ってしまいたいと思ったのです。

 稲荷山主に宛てた黒住教主からの手紙は快く受け入れられ、私にとって初の“両参り”になりました。山主からは、午後も行事が続くため返礼の参拝はできない旨の丁重な返信をいただき、いずれ宗忠神社御神幸に来賓として招待できればと思っています。

 二月三日、午後一時三十分からの宗忠神社節分祭に斎主が遅参するわけにはまいりませんから、早い回に豆まきをさせていただいて最上稲荷を後にして、祭典後の斎主挨拶で事の次第を参拝者各位に報告しました。どよめきとともに称賛の声をいただき喜んだことです。なお、「あちらでは『福は内』だけでしたが、私は『福は外』も連呼してきました。ですから、どうぞ今日はこちらで福をしっかりと受けられますように」と挨拶を締めくくって、“笑う門には福来る”のおかげをいただいたことでした。

 わざわざ「鬼は内」と災いを招き入れる必要はありませんが、まずは「福は外」の実践に心掛けて、互いに福を与え合えるようになりたいものです。そして、いつの間にか蔓延らせたり受け入れてしまった難(鬼)を、大難にしてしまわないようにして、中難から小難、そして無難に、もう一歩進んで有り難い(有難)ものにできるように、「追われし鬼を福にみちびく」べく“道ごころ”を養ってまいりましょう。