海外からの参拝者への「説教」
平成25年11月号掲載
先月12日、岡山大学の紹介で神道山を訪れた米国のダラス・バプティスト大学の大学生および大学院生に本教について話をする機会がありました。全員が敬けんなキリスト教徒ということで、「教義に関する講義を…」と依頼された話の要旨を、日本語に訳し直してみました。最初から日本語で作文すると必要のない説明文がかえって興味深いのではないかと思い、一部を紹介させていただきます。
ようこそ神道山にご参拝になりました。
黒住教は、神道の指導者であった黒住宗忠によって、西暦1814年に立教された宗教です。神道は、日本独自の宗教的伝統で、キリスト教やイスラーム、また仏教などの諸宗教とは異なり、教祖や預言者も、また特定の教義や戒律も、さらには聖なる教典・経典も存在しません。しかしながら、古(いにしえ)より続く尊い神道祭祀(さいし)と儀礼が、日本中の神社で今も厳粛につとめられています。神社は、古来米作りのための共同体の精神的中心で、全国に8万社以上あります。温暖で豊かな気候風土に恵まれた日本ならではの信仰の伝統であり、日本人を日本人たらしめてきた文化そのものといえるのが神道なのです。
神道の世界では、自然界のすべてのはたらきが神として崇(あが)められてきました。太古の昔から、日本人は、到底数え切れないほどいらっしゃる神々のことを八百萬神(やおよろずのかみ)と称(たた)えて、敬い畏(おそ)れ崇拝してきました。ですから、神は英語の God や god とは元々(もともと)意味が異なるのです。
とりわけ、太陽は天照大御神と尊称されてきました。世界各地で太陽はそれぞれの方法で尊崇されてきましたが、穏やかな気象条件のおかげで、日本人は太陽のことを「お日さま」とか「お天道(てんとう)さま」と、崇敬とともに親愛の情を込めて称して、手を合わせてきました。こうした日本人の心情が、日の丸という国旗と、日本という国名に反映されているのでしょう。因(ちな)みに「日本」という国名ですが、「日の本」の意味は「日が本」だと私は思っています。
冒頭に、「黒住教は、神道の指導者であった黒住宗忠によって立教された宗教」と申しましたが、宗忠は、日の出を拝んで神秘的宗教体験を得て天照大御神の真実体を説き明かし、多くの人々から教祖と仰がれました。その教えは「神道の教えの大元」と江戸時代の国学者からも賞賛されました。日本固有の神道の伝統から、初めて宗教として成立したのが黒住教なのです。
黒住教の教えでは、天照大御神は天地万物の大元です。私たち人間も含めて、この世の中のすべての存在は、天照大御神によって生み出された賜物で、大御神の恵みによってあらゆるいのちが養われ育まれています。親神である天照大御神への誠実かつ謙虚な感謝と敬仰(けいぎょう)の祈りが、私たちの信仰です。
また教祖宗忠は、「人は天照大御神の分心をいただく神の子」と説いて、私たちの心の中の心といえる「ご分心」の存在を明らかにしました。それは、天照大御神の心、すなわち “神の心”が各々(おのおの)の心の中に “心の神”として鎮まっているという、黒住教の教えの神髄です。一言で申せば、私たちの心が陽気に活気づいて感謝と喜びに満ち溢(あふ)れると、心の陰気や邪気は祓い清められて、元々の天照大御神の心と同じ心になるという心直しの道であり開運の道です。
明朝ご参拝いただく御日拝は、黒住教にとって最も大切な祈りのときです。東天に昇る朝日を拝んで天照大御神との一体感を得て、清浄なる本来の神の心に立ち返る厳かなひとときです。神々しい御光(みひかり)に包まれながら、神道の祓いの詞(ことば)を朗々と唱え、新鮮な朝の神気・霊気をご分心の鎮まる下腹にたっぷりといただくことで、心中の罪・穢(けが)れは祓い清められ、感激と感謝の気に満ちた生生発展の生命力が高められます。
以上のように、私たちは常に天照大御神の心で、人に社会に誠を尽くして生きることを、日々の心掛けとして重んじています。