人を助けずば
神にはなれぬものなり(御教語)

 教主様が常々御教え下さっていますように、“祈りの誠”と“孝養の誠”が、日本人のアイデンティティー(自己証明)といえる「敬神崇祖」(神を敬い、先祖を 崇める)の精神に通じる縦軸であり、“奉仕の誠”は人そして社会に向けた横軸です。この縦軸と横軸が両々相まってこそ、よりよく生きるための誠を尽くす実践となり、お互いに下腹に鎮まる天照大御神のご分心(みわけみたま)が養われ、自分自身にも尊いご神徳がいただけるのです。

 「教祖様の御逸話」(日新社刊)に所収の「豊楽寺村の周蔵さんのこと」は、教祖神が徹底して“奉仕の誠”を捧げられた証です。

 教祖神がご神用で出掛けられた帰途、馬方(荷馬を曳く人)が「周蔵は貧乏で独り身、その上、膈の病(胃がん)で難儀をしている」と話しているのをたまたま耳にされました。教祖神は、会ったこともない周蔵さんを気の毒に思い、片道四㌔もの道のりを人に尋ねながら豊楽寺村の周蔵さんの家を訪ねて行かれました。そして手厚くお取り次ぎをつとめられましたが、残念ながら、周蔵さんは貧乏と病のために心を固く閉ざしていたため、霊験は現れませんでした。そして教祖神が村はずれまで帰られた時、急に大雨が降り始めました。周蔵さんの家の屋根に大きな穴があいていたことを思い出した教祖神は、雨に濡れるのもいとわず今来た道を引き返して、そこにあった竹ぼうきなどを使ってその屋根の穴をふさがれました。教祖神の徹底した“奉仕の誠”に触れて大感激し涙する周蔵さんに、教祖神があらためてお取り次ぎをされると、奇跡のおかげが現れ、やがて重病が全快したのです。

 “奉仕の誠”を理解する上で大切な御教語が「まること」です。大調和(丸い状態)と循環作用(丸いはたらき)を意味する「まること」の真意を知ることで、誠を尽くすという純粋な奉仕が、社会全体の調和と繁栄をもたらすとともに、自分自身のための尊き行為でもあることを学ぶことができるのです。まさに「情けは人のためならず」です。人を助けることを通じて、結果として得る真の喜びを体験的に知ることは、「人となるの道即ち神となるの道」(御教語)の“誠の実践”なのです。