令和の御代を迎えて
教主 黒住宗道
令和元年5月号掲載
今上天皇陛下の御即位を衷心よりお慶び申し上げるとともに、
天皇皇后両陛下の御聖寿の萬歳と、
太上天皇様皇太后様の御聖寿萬歳、そして皇室の御弥栄を心よりお祈り申し上げます。
去る平成三十一年四月一日に新元号「令和」が決定・発表され、いよいよ五月一日に令和元年と改元されて新たな御代を迎えました。令息・令嬢・令夫人の「令」、本教においては八代宗芳のことを「令嗣」と呼称していただいていますように、「令」には「尊重する」という意味が込められています。令和元年の始まりに際して、心新たに「和を尊び重んじる」ことを旨とする日本国国民であるべく、ともに和らぎ和やかに和やかに新しい時代を生きてまいりたく存じます。
新元号が発表されて、直ちに私の心に浮かんだ教祖宗忠神の御神詠が左の三首でした。
世の中はみな丸事のうちなればともに祈らんもとの心を (御歌二〇二号)
まるき中に丸き心をもつ人はかぎりしられぬ○き中なり (御文一三六号)
誠ほど世にありがたきものはなし誠一つで四海兄弟 (御文一四一号)
私たち黒住教道づれ(学び徒)にあっては、教祖神が教え示された「丸事」、「まるき・丸き・○き」、そして「誠」の何たるかを学び、身に修め、自らの信心を深めていくところに、令和の御代なればこその開運の人生を送らせていただけることと確信します。
ところで、先月七日に欽行百三十三年、戦後に復活して六十八回目の宗忠神社・御神幸が、平成の御代を有終の美で締め括るように満開の桜と好天微風の恵みをいただいて、まことに有り難く斎行されました。とりわけ戦災からの復興を願い祈って復活されて以来、「世界大和・万民和楽」の祈りの詞の下に執行されてきた本教最大の御祭りが御神幸です。東日本大震災発生からわずか三週間後の平成二十三年四月三日も、本来の祈りの行事・神事として厳粛に執り行われました。この「世界大和・万民和楽」の本に在る精神こそ、本教において明治の頃から謳われてきた「まることの世界建設」であると確信して(本誌平成二十九年五月号「神道山からの風便り」をご参照下さい)、私は黒住教教主就任に際して発表した「告諭」の冒頭に、「『まることの世界』の実現を目指して」と掲げました。
実は、新たな元号を予想するような会話を家族ですることはそれまでありませんでしたが、「まることの世界」という言葉が常に念頭にあったものですから、いよいよ決定・発表される四月一日の朝、私はテレビを見ながら、「『昭和』に近すぎるけれど、結局『和』の字が使われたりしてね…」と家内に漏らしていました。速報が流れた午前十一時四十一分、開運祭後の説教中に知った「令和」という新元号を、勝手な思い込みとはいえ「我が意を得たり」と喜び承ったことです。同時に、五代宗和教主様の「和」の字であることが何よりも嬉しい発表でした。
ここで、謹んで今月一日に御即位なった今上陛下の御事をお話しいたします。
本稿先月号に紹介しましたように、去る二月二十六日に開かれた「宮中茶会」において、私はまるで引き寄せられるように当時の皇太子殿下の御前に立って、「新たな御代をよろしくお願いいたします」と直接ご挨拶させていただく感激の機会を得ました。今、あらためて「元号に込められた『和の心』を尊重してまいりますので、令和の御代をよろしくお願いいたします」との思いを新たにすることです。
ところで、昭和六十三年(一九八八)夏に英国国立ロンドン大学での二年間の留学を終えて教団に帰って間もない私が、当時浩宮様と尊称していた今上陛下の御人柄について、連載執筆を始めたばかりの「神道山からの風便り」(昭和六十四年一月号)に紹介しているので、抜粋転載いたします。
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去る昭和六十三年十一月一日、私は独り伊勢へ向かいました。二年間の英国留学を無事、有り難く終えられたことを天照大御神のお鎮まりになる伊勢神宮に奉告させていただくためでした。
心洗われる思いで参拝を終えた後、私は幡掛正浩伊勢神宮少宮司様にお目に掛かることができました。少宮司様は、昼食まで用意して私が訪れるのを待って下さっていました。
「浩宮様が二カ年の英国留学を終えられて奉告のために参宮なさった時、同じ料理をこの部屋のあなたが座っているその席でお召し上がりになったのですよ」
目の前の料理に箸をつけようとした途端に、少宮司様がおっしゃったこの言葉を聞いて、私は飛び上がらんばかりに驚きました。そして、まことにもったいないことですが、浩宮様と同じくらいの手厚い接待をして下さった少宮司様に心から御礼申し上げたことです。
それこそ一口一口噛みしめながらいただいた食事中に、少宮司様は大変有り難いお話を聞かせて下さいました。
「浩宮様とお話していて、さすが王者の教育を受けた方は違うなと感じたことがあります。私が浩宮様に神宮の印象をお尋ねしたところ、『神宮は自然に溶け込んだ美しい所ですね』と一言だけお答えになりました。英国からお帰りになったばかりにもかかわらず、西洋のものを引き合いになど出されずに、神宮の美しさだけをお答えになった浩宮様に頭が下がりました」(後略)
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この掲載号が発行された数日後に昭和の時代が終わることなど知る由もなく執筆した原稿を、令和の時代最初の本号に転載させていただく不思議さと有り難さを感じています。まことに僭越ながら、今上陛下と共に歩ませていただく思いを一層強くして、黒住教教主としての神命を果たしてまいる覚悟と決意を新たにしています。
最後に、先月十日、すなわち平成三十一年四月十日、当時の天皇皇后両陛下の御成婚六十年当日に行われた「御即位三十年 奉祝感謝の集い」に、私は「主要主催者」という特別な立場で列席するという大変な栄に浴しました。主催した奉祝委員会の代表役員の一人として「奉祝文」を執筆させていただいたことは二月号の本稿で紹介しましたが、その上での有り難い“お役”でした。先月号の本稿で報告いたしましたように、政府(内閣)主催の「記念式典」、両陛下の御名の下にお招きいただいた「宮中茶会」、そしてこの度の主催者としての「奉祝感謝の集い」と、平成の御代を締め括る尊い節目に、まさにこの上ない栄誉を賜ったことを、謹んで報告いたします。