「陛下、有り難うございました」
教主 黒住宗道
平成31年4月号掲載
本項2月号で紹介いたしましたように、去る2月24日に執り行われた政府(内閣)主催による「天皇陛下御在位三十年記念式典」に出席する機会をいただきました。それだけで十分すぎる光栄でしたが、実は宮内庁から届いた2月6日付の案内状により、2月26日に皇居豊明殿(ほうめいでん)において開かれた「宮中茶会」に招待され、謹んで参内(さんだい)させていただきました。
御代(みよ)の替わる大きな節目に際して、黒住教教主として最高の栄誉を賜ったことは、教祖宗忠神のご高徳とともに、立教以来205年の歳月を先人方が誠実に歩み来た本教の歴史の尊さの証(あかし)と有り難く承(うけたまわ)り、お道づれを代表して宮殿に上がらせていただきました。実は、その上で、恐悦至極の事ながら、
今上陛下に御礼の言葉を直(ひた)に奏すことができた感激と、
次代天皇陛下でいらっしゃる皇太子殿下に直接ご挨拶(あいさつ)を申し上げることができた喜びを、平成の御代最後の本号の「道ごころ」において報告いたします。
お招きを受けた「宮中茶会」は2月26日の午前10時開始で、「午前9時の参集。開門は午前8時30分」とのことでしたので、迎えの車を都内のホテルに手配したのが午前8時でした。平日(火曜日)の朝のことでしたから余裕をもって時間設定をしましたが、十分足らずで皇居前広場に到着した時点で、開門を待つ車はタクシーが一台停車しているだけでした。結果的に広い広場の中で目印になってくれたタクシーは、来賓一名を降ろしていなくなり、車での参入の「一番乗り」が転がり込んできた時から“おかげ”をいただいていたように思います。「カメラの持ち込みは控えるように…」とのことでしたので、開門までの間にモーニングコート姿を撮影してもらって、散水車によって清められた玉砂利に最初の轍(わだち)を付けさせていただきながら、二重橋を渡って正門をくぐり、正月等に多くの国民が日の丸を振って陛下にご挨拶申し上げる皇居東庭を皇宮警察の誘導に従って横切り、北車寄(くるまよせ)せで下車しました。そこで、一番車の到着を待ち構えていた多くの報道陣からの一斉フラッシュの洗礼を受けて、控室の春秋(しゅんじゅう)の間(ま)に入りました。徒歩で参内していた十数名の方々がすでにいらっしゃいましたが、小一時間で450名と報道された来賓で広間は一杯になりました。多くの著名人をお見受けしながら、中には顔見知りの方々も何人かいらっしゃったのでご挨拶をしている内に、午前9時30分からの宮中雅楽・舞楽が始まり、その後いよいよ茶会会場の豊明殿に移動しました。岡山から招かれていたのは本教の奉賛会会長である岡﨑彬(あきら)岡山商工会議所会頭と私だけでしたので、「奉賛会長とご一緒できたことを、『日新』誌上で紹介できます」と、喜びの胸の内を明かしながら豊明殿に入りました。
ご案内状に「宮中茶会(レセプション)」と表記されているように、いわゆる「立食形式のドリンクパーティー」で、会場入り口で飲み物の入ったグラスを受け取って歓談をしていると、間もなく、
天皇皇后両陛下、皇太子殿下、以下皇族の方々がお成りになりました。
両陛下は一段高い舞台に上がられましたので、会場後方の私にもご尊顔を拝することができましたが、大勢の人に遮(さえぎ)られてお姿に接することはかなわないと思っていた皇太子殿下のお顔元を、幾重もの人の肩と肩の間から真正面前方にしっかりと拝見することができ、乾杯までの数分間、「殿下、これからの御代をよろしくお願いいたします」と、新しい御代を継承される御方に繰り返し心の中でご挨拶申し上げることができました。
来賓代表者の挨拶、そして天皇陛下の御言葉を賜り、続く乾杯の後は自由な歓談のひとときになりました。やがて、最前列を上手(かみて、向かって右側)にゆっくり移動されながら来賓のご挨拶をお受けになる両陛下に引き寄せられるように、全体的に右方向に人の集まりができて、下手(しもて、向かって左側)の最前列辺りに空間ができていましたので、「折角だったら、前の方で両陛下の御姿を拝させていただこう…」と思って一番前に参りましたら、ほんの数メートル離れた所で来賓の挨拶を受けておられる皇太子殿下の御姿がありました。「これは、有り難い!」と次代の天皇陛下の御姿をしっかり目に、胸に、心に焼き付けておこうと、失礼ながら殿下の一挙手一投足を見つめながら、あらためて「これからの御代をよろしくお願いいたします」と心中で祈る思いで唱え続けていました。
すると、どうしたことか、皇太子殿下が少しずつ私の方へ近づいて来られるのです。私も自然と殿下の方に歩を進める内に、三人の来賓の一人として直接ご挨拶させていただくことになりました。「黒住教教主の黒住でございます」と自己紹介した時に発せられた「あっ」という御声に接し、「あぁ、やっぱり…」と感動に身が震えました。10年前の「御即位二十年」の奉祝の会で、六代様(当時、教主様)が「直接ご挨拶はできなかったが、名札を指さして会釈(えしゃく)をしたら皇太子殿下は『あっ』と御声を発せられた。『あの、黒住教…』の御心内が込められた『あっ』だったことは間違いない」とのお話を伺い感激していたからです。驚き感動しましたが「これだけで終えてはならない…」と思った途端、「これからの御代をよろしくお願いいたします」という、それまで何度も心の中で繰り返していた言葉が自然と口をついて出ていました。「有り難う」と仰(おっしゃ)っていただき拝礼して退きましたが、ただただ至福の瞬間でした。
実は、驚きと感動はこれだけに止(とど)まりませんでした。殿下にご挨拶し終えるのを待っていたように鐘が鳴らされ、茶会は終わりの時を迎えました。「最前列の方は、列を整えて下さい」という宮内庁職員の案内で私は下手の最前列に並ばせていただき、「向こう(上手)の扉からご退室なさる(と思っていた)陛下をお見送りできる」と、それだけで喜んでいた私の予測と異なり、上手(向かって右側)から下手(向かって左側)に両陛下以下皇族の皆様がどんどん近づいて来られるのです。私のすぐ目の前はご入室になった扉ですから、後から思えば大して驚くことではありませんが、茶会が終わった時点で両陛下は最も上手にいらっしゃったので、当然そちら側の扉からご退室になるとばかりに思っていたのでした。驚きと感動は、すぐに緊張に変わりました。お見送りする来賓の皆さんが次々に発する「おめでとうございます」の言葉を聞きながら、私は「今こそ、奉祝文(本項2月号掲載)に示した感謝の言葉を申し上げよう」と決心して、「その時」をドキドキしながら待ちました。
まさに「天顔咫尺(てんがんしせき)」の瞬間に、私は声の大きさに配慮しながら「陛下、有り難うございました」とはっきりと奏しました。拝礼して発声すべきところ、失礼ながら上目遣いで御姿を拝していましたら、明らかに「ん!?」と一瞥(いちべつ)して下さり、お耳に届いたことを大感激とともに確認させていただきました。
期せずして「天皇陛下、万歳!」の発声が起こったのは、その直後でした。一同はグラスを手にしていましたから、公式予定外の出来事であったと思います。私の目の前を通り過ぎられたばかりの天皇陛下は、万歳発声が起こるや否やピタッと御足を止めて踵(きびす)を返して、万歳三唱を正対してお受けになりました。まさに「有ること難い」光景を目の当たりにさせていただき、今なお言葉もありません。
お招きをいただいただけで光栄至極のところ、これほどまでに予期せぬ感謝感激の時を賜り、お道づれの皆様にこの喜びをわが事として共有していただきたく、ご報告申し上げた次第です。
24日の式典の報告や、茶会でご挨拶した方々との会話など、他にも紹介したいエピソードは次々ありますが、直接お話しできる別の機会を楽しみにしていただきたいと思います。一つだけ申し上げておきますと、陛下以下皆様がご退室なった後、感動覚めやらぬ思いで後ろを振り返ると、24日の式典で見事な歌声を披露したシンガーでありダンサーである三浦大知さんと目が合いました。「素晴らしい歌を有り難うございました。それにしても、琉球の言葉が上手だと思ったら、沖縄ご出身でしたね…」とお礼を言うと、「有り難うございます。でも、使い慣れない古い言葉ですし、大役でしたから、しっかり準備して臨みました」と、実に爽やかな笑顔で応答してくれたことを披露しておきます。
紹介できる写真が限られていますので、開門前に撮った一枚と記念にいただいたボンボニエール(金平糖の入った銀の小ケース)、そして宮内庁から届いた案内状(封筒)を掲載していますが、封筒の宛名が「神道山」(公式住所は「2770番地」)と明記されているのも、小さな驚きと喜びの思い出になりました。