親様が直ちに御形(おんかたち)の天命(てんめい)(御教語)
ご幼少の頃から親孝行な教祖神は元服(昔の成人式)した頃から、親様(ご両親)に喜んでいただくにはどうすればよいかと、真剣に考え思いを巡らされるようになりました。世の中の有様(ありさま)に目を向けるようにもなり、その昔から“三苦(三大苦)”といわれる「病気」「貧乏」「不和(争い)」で悩み苦しんでいる人を目の当たりにして、こうした方々をお助けしたいという思いを強く持たれるようになりました。そしていつしか、苦しむ人々を助けて世の人々から仰ぎ尊まれるほどの人になり、その姿を親様に見ていただきたい、親様はきっと喜んで下さるに違いないとの思いが強くなり、“生きながらの神”となる志を立てられたのです。
「身体髪膚(しんたいはっぷ、身体、髪、皮膚、すなわち身体全部)これを父母に受く、あえて毀傷(きしょう、損ない傷つけること)せざるは孝の始めなり」という言葉で始まる「孝経(こうきょう)」(孔子(こうし)が門弟に“孝道”について述べたことを筆記したもの)を教祖神は幼い頃に通った市村塾で学ばれたと伝えられています。教祖神は生きながらの神となるべく、「孝行」また「神」について書かれた古典をむさぼるように読まれたのです。
その後、教祖神が二十(はたち)ばかりの頃、ひとつの悟りを得られました。星島良平高弟著の「教祖宗忠神御小伝」に、「二十ばかりのころ、心に悪(あ)しきことと知りながら身に行なうことのなきようにせば、神とならるべし」と記されていますが、教祖神は「心に悪しきこと」を具体的に5つ箇条書きにして、ご自身の生活のたてりとされました。微細な表現の差はありますが、「御七カ条」の第二項の「腹を立て物を苦にする事」と第七項の「日々有り難き事を取り外す事」を除いた「五カ条」でした。教祖神はこの五カ条をいつも目につく所に貼って、日々御自らを戒められていたということです。
親様にお喜びいただきたい一心が元で、生きながらの神になろうと志を立てたこと自体、けた外れなことであり、そのために五カ条に照らしながら、日々、自(みずか)らを厳しく律して生きられたということは、大変なご修行であったものと拝察します。教祖神にとってご両親のお姿そのものが全ての基本であり、そこのところを“御形(おんかたち)の天命(てんめい)”とまで仰せになっているのです。実に尊い御(み)心です。