一切天に任すこと親に従う心なり(御教語)
本誌3月号の「御(み)教え」で紹介した「千早振(ちはやぶ)る神の生み出す生みの子よ親の心をいたましむるな」の御歌が認(したた)められている御文一九号に、「ただ何事も、天に任せ候(そうろう)こと、親にしたがう心なり。小子(しょうし)修行は天命次第、行くも帰るも生も死も天地なれば、少しも苦になることござなく、ただ打ち任せ、日用を暮らし候(そうら)えば、また自然と教えも天よりござ候。これをもって世を渡るときは、ただ楽しみよりほかはござなく候」とあります。
現代語で記しますと、「ひたすら何事も天に任せることが親にしたがう心です。私の修行は天命(天照大御神のご命令)次第で、行くも帰るも、生も死も天地自然ですから、少しも苦になることはなく、ひたすら打ち任せ日々の用事を済ませて暮らしますと、また自然と教えも天からございます。これで世の中を渡りますとただ楽しみよりほかはございません」となります。
お互い人は、大御神様のご分心(みわけみたま)をいただく神の子であり、一切がご神徳の中の出来事なので、ご神慮に沿って天命のままに生きていくならば、苦になることはないと、お諭し下さっています。
私たち道づれは、教祖神が歩まれた通り、親に対する孝とともに、天(大御神様)に対する孝をつとめなければなりません。では、「天に対する孝」とは何かと言えば、大御神様に生かされて生きていることを感謝することであり、神の子として生まれてきたことを素直に喜び、「人となるの道すなわち神となるの道」を歩むことです。そこで、全ての物の中に神性を見いだし、祈り感謝することが大事になりますが、「おかげさま」の心が少ないところに「我(われ)」が出てくるのです。
「離我任天(りがにんてん)」の御教えは最高の境地といえますが、ひと口に言えば「天照大御神ご一体の教祖宗忠の神様を、いかに信じ仰ぐことができるか」ということです。臆病や疑いを祓い去って、何事にも感謝できる、いわゆる「ありがとうなる」修行につとめたいものです。
わが親への孝行と、ご先祖そして大御神様ご一体の教祖神への日々の祈りこそ、本物のお道信仰といえます。「暮らしの基本に“敬神崇祖”」をつとめましょう。