目を開けて空仰ぎ見よ仰ぎ見よ
          天照る神の道は一筋(伝御神詠)

 宗忠神の辞世の一首として知られるこの御神詠は、ご昇天前夜の嘉永3年(1850)2月24日(旧暦)に、ご長男の二代宗信様が宗忠神の枕元でお道(教団)の今後についてお尋ねになった際に詠ぜられた御(み)歌と伝えられています。

 「道のことなら、心配はない」と明言された後に、力強くこの御歌を二度唱えて、最後に「肉眼ではない、心眼ぞ!」という凜(りん)としたお声が部屋中に響き渡ったそうです。

 実は、晩年の宗忠神の身の回りのお世話をなさっていた次女てる子様の長女兼子様が当時14・15歳で、「私も母と一緒に何日も滞在して、お側(そば)でお世話をいたしましたから何かとよく存じております」と、後に『教祖様の御逸話(ごいつわ)』を著した河本一止先生の取材を受けておられるのです。86歳にしてかくしゃくと5時間もの取材に応じられた宗忠神の外孫・村田兼子様の脳裏にはっきりと刻み残されていたのが、「肉眼ではない、心眼ぞ!」の尊い御言葉でした。

 また、ご昇天前年の11月のある日、外出先から帰られた宗忠神が、突然羽織を脱ぎ捨てて、「私も、この羽織のように、形を脱ぐ時が来た!」と仰(おっ)しゃったそうです。「いつもは丁重に扱われるお羽織をパッと勢いよくお投げになって、誰に言うともなく、それでもかなり大きな声で仰せになり、そこに居合わせた母と私はびっくりして、思わず顔を見合わせたまま何もよう申せませんでした…」。

 「肉眼ではない、心眼ぞ!」を最後に、それからは一言も仰せにならず、翌朝2月25日の日の出の時刻に、お側にいたてる子様兼子様母娘も知らぬ間に、厳かに静かに御形を脱いで昇天された宗忠神でした。

 今も天照大御神とご一体の尊き神として、私たち黒住教お道づれを確かに守り導きお救い下さっている教祖黒住宗忠神をしっかりお心にいただいて、ともに「誠之道」たるお道信仰の誠を尽してまいりましょう。