いきものは心一つにあるものと
          思えばたれもいきものとなる(御文八六号)

 岡山の町に、長く労咳(ろうがい、肺結核)を患って、かなり重症になって苦しんでいた病人がいました。

 そこで、宗忠神をお招きして御祈念をつとめていただいたところ、お祈りの後で宗忠神は仰しゃいました。

「先ほどから思ったことですが、この部屋は失礼ながらとても陰気です。長い間のご病気で、貴殿の心が陰気になるのは仕方のないことですが、家族の方々もともどもに陰気になって、室内は戸障子も立てがちで、陰気が満ちてしまっています。無理からんことですが、信心に陰気は禁物です。生きるが大御神の道で、面白きが大御神の御心です。どうか、少し陽気におなりなさい。それには、笑うことが一番です。もう長いことお笑いになったこともないでしょう。きょうから、つとめて笑いなさい…」

 その夜、病人は考えました。

「わざと笑う。つとめて笑う。それは出来ぬことではない。それで病気が治るなら、やってみるか…」

 さっそく無理に笑ってみましたが、元より少しも可笑しくも面白くもありません。バカらしいだけです。やめようかと思いましたが、それでも気を取り直して、大きく口を開けて「ハハハ…」と声を出し続けました。

 しばらく笑ってはやめ、また始めては休み、繰り返しているうちに、フト、自分の影が行燈の灯りで襖に映っているのが見えました。

 頬の肉も落ちて痩せこけた顔の男が、殊更に大きく口を開けて、無理に笑おうとして妙に口元を動かしている。それが揺らめく灯かげに映し出された映像こそ滑稽の極みでした。可笑しくもないのに笑う努力をしていたので、思わず失笑し、吹き出しました。もう堪えられません。可笑しくてたまらず、しばし腹を抱えて笑い続けました。

 突然病室で変な声がするので心配して駆け付けた家族も、襖に浮かぶ影法師を見て大笑いしました。それにつられて、病人はいよいよ笑い転げました。

 久しぶりに笑ったので、腹の鬱血(うっけつ)がとれ、血の巡りが良くなり、腹が減って食欲が出ました。何よりも、心の陰気が去って、愉快に陽気になりました。久しぶりに、少量ながら真に美味しく食事ができました。そして、その夜は、全く久しぶりに熟睡できました。

 翌朝から快方に向かって、全快したということです。