天つちの中にひとつの○(まる)きうち
          おのが心のすみかなるらん(御歌二三号)

 宗忠神が、某所でのお説教で「人が茶碗を投げてきたら、茶碗で受けとめるようなことはせず、柔らかく真綿でお受けなさい。そうすれば、茶碗が音を立てたり割れたりすることはありません」と話されました。

 その時、突然聴衆の中の一人の男が大きな声を張り上げて
「先生!いよいよ茶碗と真綿は鳴りませんか?」
と食ってかかりました。宗忠神は穏やかな口調で「はい。鳴りません」とお答えになりました。

 すると男は、ますます興奮して「本当に、鳴りませんか?」と詰め寄ります。じっとこれをお聞きになった宗忠神は、温容をくずすことなく応じられました。
「いや、鳴ります、鳴ります」

 男は、「それみろ…」とばかりに満足して座ったのですが、この男の態度こそ、まさに茶碗を投げつけた行為だったわけで、分かり切った道理を捨てて、「鳴ります、鳴ります」と相手に譲った宗忠神は、たった今お話しになったことをその場で実践し、投げられた茶碗を真綿で受けとめられたのでした。

 一部始終を、緊張して目の当たりにした参拝者の感激はいかばかりであったかと想像するものです。

 この「茶碗と真綿」のお説教をたびたび話して、一生を真綿に徹せられたのが五代宗和教主様でした。実は、この話をしながら説教中に卒然と昇天されたのですが、五代様はいつも次のエピソードを紹介して、自らの心掛けの大切さをユーモアの中にお諭し下さいました。

 「かつて、『自分は短気な性分で真綿には到底なれないから、今度うちの主人を連れて来るので、しっかり真綿になるように仕込んでほしい』と申し出た婦人がいて、『そういうわけにはいかんがのう…』と諭したもの…」

まるき中に丸き心をもつ人は
    かぎりしられぬ○(まる)き中なり(御文一三六号)