天つちの心のありか尋ぬれば
         おのが心のうちにぞ有りける(御歌一八号)
心とはほかにはあらず天つちの
         有無をはなれし中のいきもの(御歌一一〇号)

 教祖宗忠神が、備前赤坂郡河本村(現在の岡山県赤磐市河本)の大庄屋の森家へお出掛けになる道中のことです。砂川という川の洲と洲の間に架けられた一枚板の橋を渡っていた時、出水(大雨のため水かさが増していた状態)で橋板が浮いていたため、思わずバランスを崩して一瞬大きく心を動揺されたことがありました。

 幸い何事もなく向こう岸に渡り終えた宗忠神は、土手に上がるや否やそのまま堤にお座りになって、ほんのしばしの間とはいえ「ご分心」を動かし奉ったその過ちを、天照大御神様に深くお詫びになりました。

 宗忠神が、平生いかに鎮魂に徹しておられたかを驚きをもって学ばせていただく御逸話ですが、この砂川での出来事のすぐ後、5日毎に行われる「御会日」(「二七の御会日」)のお説教でこのことが話されました。参拝した人たちは皆、自分たちがどれほど日頃心を動かしてしまっているかを反省するとともに、宗忠神の日々のお心掛けに敬服して、有り難く道の教えを学んだことでした。

 さて、次の御会日でも砂川でのことが話されました。さらに次の時も、そして次の次の時にも、なんと宗忠神は同じ話を7回も続けて話されたのでした。

 さすがにいつも同じお話では不平の一つでも出たのでしょうか、ある日、奥様が直々にご忠告になりました。

 「あのお話、まことに有り難く拝聴したことですが、毎回同じではいかがかと存じます。今日で7回目です。もうおやめになった方がよろしいかと…」

 宗忠神は、奥様のご進言をお聞きになった後、
 「いや、それだからまだ続けて話さねばならない。大御神様のご分心たる大切なお心を動かさぬように、少しも痛め損なうことのないように…という肝心なところを十分に腹に納めようとせずに、これで何回目だと数えて、それでは困ると、かえってお心を悩ましている。そのように聞いておるかと思えば、もっともっとあの話をせねばならぬ…」とお応えになりました。

 果たしていつまで砂川のことをお話しになったかは知る由もありませんが、宗忠神がこれほどまでに重きを置いて繰り返してご指導下さった深意をしっかり受け止め、徹底して学ばせていただかねばなりません。