天照らす神の宮居に住む人は
かぎり知られぬ命なるらん(御歌一二号)
今月は、三百石取りの備前藩士石田鶴右衛門維忠氏の霊験談「幸魂のおはたらき」を学ばせていただきます。
参勤交代のため江戸詰めであった石田氏が瘰癧(結核菌の感染による頸部リンパ節の腫物)に罹り、在府任期中のところ殿様のお供という名目で帰国が許され、何とか播州の大蔵谷(現明石市)まで帰り着きながら、終に重篤の身となり、任を免ぜられて養生を余儀なくされていた時のことです。
「武士たる者が主君の御用も勤め得ず、途中にて果てるは残念…」と悔恨の念に駆られながらも、「ここぞ鎮魂の場合なり」と、じっと心を下腹に鎮めて病床で祈りに徹していた石田氏が、突然立ち上がって宿の玄関まで行き、誰もいないのに深々と頭を下げて挨拶して、やがて病室に戻ると「ああ、有り難い、有り難い」と、大きな声で繰り返したものですから、看護していた家来の人々は断末魔の苦しさに気が触れたかと思ったそうです。それでも、いきなり元気になった石田氏にそのわけを尋ねると、「先刻、黒住の大先生がおいで下さり、『ご難儀でしょう』と直禁厭(直接の祈り込み)の後、口の中に指を差し込んで瘰癧の根だとおっしゃって、ほおずきの実のようなものを手にいっぱい取って下さり、また2杯目をお取り下さったら不思議と息も楽になり、気分が落ち着いたので、いまお帰りをお見送りしてきたのだ」と、涙をこぼして感謝して話されたといいます。
かくして、重篤の容体も即座に全快して、翌朝さっそく帰国の途につき、教祖宗忠神の下に直行して一部始終を報告してお礼を申し上げたところ、「それは、実に有り難いことです。もちろん、私の形はここにおりまして、明石の方まで飛んでまいりはしませんが、お家から病気平癒のご祈念の依頼がありましたので祈り続けていました。きっと、幸魂があなたのところへ行って、それだけの霊験となったのでしょう!あなたの平素からのご信心の徳、わけても、その場に至っても心を動かされず、必ずおかげをいただくと信じ切られた、その強い誠の御徳です。おめでたいこと!有り難いことです!」と、宗忠神は心からお喜びになったとのことでした。