天地の誠の中に入りぬれば
         道も我が身も天照らす神(岡本京左衛門大人詠)

 教祖宗忠神のご生涯6度にわたるご参宮にはじまり、有形無形に伊勢神宮とのご神縁をいただく本教です。

 有形の最たるものは、神道山・大教殿の御神殿と祖霊殿が前々回のご遷宮、すなわち昭和48年(1973)の第六十回式年遷宮に際して古殿となった御用材で造営されていることです。とりわけ、御神殿の御扉が内宮御正宮の「うだつ」という貴重な御神木で設えられていることは、お伊勢様とのご神縁をいつも目の当たりにできる有り難い事実です。

 一方、無形の最たるものは「大元」という名の由来です。

 嘉永3年(1850)2月25日(旧暦)に、教祖神が御年71でご昇天になった直後から、7名の直門高弟による3年間の決死の大布教が展開されました。そして、嘉永6年(1853)、教祖神のご加護によって多くの神文(入信の誓文)を取り次ぐことができたご恩返しにと、二代様を中心に「伊勢千人参り」が挙行されました。

 総勢千人の隊列は行く先々で尊いご神徳を取り次ぎ、まさに大布教の行進となりましたが、一行が伊勢の宮川に差し掛かった時、足の立たない不自由な身の男に駆け寄って一心不乱の直禁厭(祈り込み)をつとめたのが、今月の御教えの詠者である岡本京左衛門大人※でした。大人と一行の手厚い祈りによって足が立った男の奇跡談は、たちまち伊勢の町に広まり大騒ぎになりました。そして、あろうことか“人心を惑わす祈祷師”の疑いを掛けられた大人は、当局の取り調べを受けるという事態になりました。怪しまれるような信仰ではないことを強く訴えた結果、大人は国学者としても名高い外宮神官の足代弘訓師の前で教祖神の御教えを説くことになりました。まさに命懸けの説教に感激した足代師が発した言葉が「神道の大元はここ伊勢だが、その教えの大元は備前の中野である」で、「大元」という名がお伊勢様との無形のご神縁であることを示す史実です。

 それにしても、足代師を前に「道も我が身も天照らす神」を確信して「天地の誠」一筋に天照大御神の大道を説かれた大人の気迫が、今月の御教えからも伝わってきます。

 今月末まで、立教二百年記念「伊勢萬人参り」の推進月間です。この神機に、ぜひ参宮のおかげをいただきましょう。
※大人:先生の意