江草安彦伝(山陽新聞社刊)
平成28年3月号掲載昨年3月13日、本教ともご縁の深い社会福祉法人「旭川荘」の名誉理事長・荘長の江草安彦氏が逝去しました。昨年はまた、旭川荘創立60周年の年でしたが、障がい者福祉にその生涯を捧げられた江草氏は、11月に開催された記念式典に合わせて、岡山県名誉県民として顕彰されました。そして今月には、江草氏にご縁のある方々の言葉を通しての氏の伝記「江草安彦伝」が山陽新聞社より上梓されますが、教主様と名誉会長様がご寄稿になりました。なお、同書の題字は教主様が染筆されました。
今号の「道ごころ」には、お二方のご寄稿文を紹介させていただきます。(編集部)
燎原の火の如く
昭和39年(1964年)の年末、私は父の先代教主から旭川荘に江草安彦先生を訪ねるようにと言われて、初めて先生にお会いする機会をいただきました。
この日、私は、川﨑祐宣先生と私の父との間柄に始まる湧き出るような先生のお話に引き込まれる中で、重症心身障がい児という言葉を初めて耳にしました。
「一人の身で重い障がいが二重三重にも重なった子どもさんが全国に3万5千人もいるのに、この子たちを治療、教育、訓練する施設は東京と滋賀県の大津にしかない。岡山につくろうではないか!」。「岡山県愛育委員会のご婦人方が立ち上がって下さって、重度児のための愛育寮はできた。今度は重症児だ」ということでした。その当時、重症心身障がい児という言葉は法律用語にもなかったのですから、法律は後からついて来るという先生の迫力でした。
私の父と当時の山陽新聞社の小寺正志社長とは岡山一中時代からの仲で、私は早速小寺社長にお目にかからせてもらい話を聞いていただきました。
明けて昭和40年1月、山陽新聞は社会面の右肩に私たちの始める運動について報道して下さり、いよいよ後へ引けなくなりました。百聞は一見に如かずで、重症児の生活ぶりをカメラに、映画フィルムにと試みるのですが、なかなか事が進まない中で、2月末になって3人のお母さんが申し出て下さって、そのお子さんのありのままをカメラに納めることができました。
江草先生と相談しながら、4月から半年間に区切って集中して運動を展開しようということになり、中四国の主要な街の駅前とか繁華街で、日曜祭日ごとの街頭募金が始まりました。また何人かがチームを組んで映画を持って各地に出かけ、さらにシネマスコープでもって中四国各地の映画館でも上映され、タクシーというタクシーはステッカーを作って車内に貼って下さり、数え切れない数の商店が募金箱を置いて下さいました。毎週募金の総計を山陽新聞紙上に発表していただき、さらに、青年達は、その頃まだ手植えが主流だった田植えのアルバイトや、イ草刈りの手伝いをしてその報酬を募金に充ててくれました。
7月の初め頃でした。お目にかかった川﨑祐宣先生は「自分は旭川荘でこれ以上のことをするつもりはなかったが、皆さんの熱意には打たれた。重症児施設は旭川荘で引き受けます」と断言して下さったのでした。
逐一この運動を見つめ、共に汗して下さっていた江草先生は、8月、山陽新聞社に小寺社長を訪ねて事の由を話され、それは社告を出しての一大キャンペーンとなりました。
折から8月の末、全国の画家、陶芸家、宗教者方がその作品を寄贈して下さって開催した、天満屋さんの場所提供でのいわゆるチャリティーセールも盛況をきわめました。それは、奥村土牛氏、小野竹喬氏、中川一政氏、林武氏、陶芸家の金重陶陽氏、河井寛次郎氏、藤原啓氏、そして金光鑑太郎師、出口直日師方の宗教者などからの3百余点でした。
山陽新聞紙上に重症児が登場し始めるや、まさに燎原の火のごとく重症児問題は県下に広がって行き、いわば県民市民立の形で旭川荘の中に重症心身障がい児施設旭川児童院が誕生したのは、昭和42年4月でありました。
それはまた、江草先生にとって新たな試練を切り拓く始まりでもありました。
※川﨑祐宣先生…川崎病院、旭川荘、川崎医科大学を中心とした川崎学園創立者。
垣間見た江草先生のご日常
旭川児童院ボランティア友の会 前会長 黒 住 祥 重
江草先生と申しますと、どなたもそうではないかと思いますが、あのにこやかな笑顔です。そして温かで柔らかなお話ぶりです。
昭和42年4月、開院されました旭川児童院のおしめたたみ奉仕を、当時の黒住教婦人会長の義母たちが始めました。その後しばらくして、子育てを終えた私もお伺いするようになり、江草先生にお目にかかる機会も多くなりました。いろいろ教えていただくことが多くありましたが、夫の黒住宗晴から聞かされた先生の奥様純子様にまつわることは忘れられません。
昭和から平成になる頃だったと思います。先生と一緒に上京して岡山駅に帰りました夫は、先生が「駅弁」を買いに行かれるのを不思議に思って尋ねたところ「家内がやすんでいますので子どもたちの夕食ですわ」とのお言葉に、身が固くなったと申していたことです。あのいつも笑顔でエネルギッシュな先生のご日常にある厳しさを垣間見たときでした。
その純子奥様に先立たれたとき、先生は「これからは死にものぐるいで働く…」とつぶやかれたそうです。先生の縦横無尽のお働きは、皆様よくご存じのところです。
夫はかねて「江草先生は、障がい者問題を通してよりよい社会づくりを目指されている」と申していましたが、先生は本当に志の高いお方であったと改めて思います。
※「江草安彦伝」を日新社でも取り扱います。ぜひ、お申し込み下さい。
頒価1000円、送料350円です。