天照らす神の御徳に悪はさり
よろずの善は心にぞある(御歌5号)
平成24年(2012)の神楽岡・宗忠神社(京都市)の「ご鎮座百五十年記念祝祭」に始まり、翌年の第六十二回伊勢神宮式年遷宮に際しての「お白石持行事」、いよいよ迎えた平成26年(2014)の「立教二百年大祝祭」、そして締めの御祭りとして昨年斎行された大元・宗忠神社(岡山市)の「ご鎮座百三十年記念祝祭」までの4年間の“祭り年”を、全国のお道づれの皆様と共に満願成就にてつとめ上げることができました。正にご同慶至極、まことにおめでとうございました。昨年から立教三世紀を迎えている本教ですが、節目の時を経て、いよいよ今年が本格的そして実質的な“サン世紀”の幕開けです。
掛け替えのない神機に巡り合うことができ、度々にご神徳のおかげに浴して迎えた丙申の年頭に、ある申年の始めに教祖宗忠神が詠まれた御神詠を「今月の御教え」としていただけることを有り難く思います。
「神道は祓いの一言に在り」、「祓いは神道の首教なり」、「妄念を祓え。雑念を祓え。悪念を祓え。邪念を祓え。…善念をも祓えよ」、「時々刻々常祓いに祓えよ」と、徹底して「祓い」の大事を御教え下さった教祖神なればこそ、申年に因んで「悪をさる」御歌を詠まれたのだと確信します。
申し上げるまでもなく、教祖神が徹底して「祓い」を重んじられた理由は、「よろずの善」と称された天照大御神の分心(わけみたま)、すなわち“大御神の御心”を“わが心の神”としていただく“日止まる人”・“日と倶にある人”として、「よろずの善」の妨げになる罪や穢れといった「悪」を祓い清め去ること以外に、人の本当の生きる道はないとの揺るぎないご確信に拠っているからです。
“祭り年”を終え、新たな時代の始まりの年の修行目標は、「祈りは日乗り 日拝と日々の祈りにつとめよう」です。私たちの心の奥深くに鎮まる「よろずの善」を大きくお養い申し上げる思いで、心新たに信仰の原点である祈りに徹する日々を送らせていただきましょう。