御聖願達成を祈り奉る
平成27年12月号掲載全国のお道づれの皆様の信心を結集して取り進められてきた“祭り年”も、いよいよ締め括りの時を迎えました。すでに今年から本教は立教201年、すなわち新たな世紀(100年)である第3世紀に突入していますが、祈りと奉仕に徹してきたこの4年間を満願成就にて終結し、立教から201年目の冬至という名実ともに新しい時代を歩み始める今、黒住教のアイデンティティー(存在の本質)ともいえる原点を見つめなおすべく新たな祈りの言葉を、ここに提案させていただきます。
201年前、天命直授の尊きご体験を通して教祖宗忠神が説き明かされたのは、天地の親神たる天照大御神の真実体でした。教祖様の象徴的な御言葉として、何度目かの参宮に際して伊勢の神官の問いに返答されたと伝わる「我が願いただ一つ。我が祈りただ一つ。我れただ偏に、天照大御神の御開運を祈り奉る」のひとことがあります。宗教学の専門家が「『神に神の開運を祈る』という、コペルニクス的逆転の発想の祈り」と仰天し、かつて本教の学事顧問をおつとめいただいた伊勢神宮元少宮司の幡掛正浩氏が「あらゆる宗教という宗教、日本だけでなく世界の宗教という宗教の、結局、一番深いところをひとことのもとに道破(言い尽くす)した言葉」と称讃された、「謹みて天照大御神の御開運を祈り奉る」という「御開運の祈り」を、私たち黒住教のお道づれ(教徒・信徒)は、日に何度も奉唱してまいりました。
一方で、教祖様の畢生(一生涯)の祈り・願いと、立教以来本教で最も重んじられてきたのが、「天照らす神の御徳を世の人に残らず早く知らせたきもの」(御歌9号)の御神詠です。「御聖願」と称えられてきたこの御歌こそ、教祖宗忠神を信奉する全てのお道づれが「我が祈り・我が願い」として日々拳拳服膺(常に心中に銘記し、忘れないこと)して、その達成のために誠を尽くさなければならない黒住教のアイデンティティーなのです。黒住教という一宗教の枠に止まらず、あらゆる宗教・民族・国家の隔たりを超えて「一切万物の親神である天照大御神のご神徳の有り難さを、世の中の全ての人々に少しでも早く知らせたい」という気宇壮大な祈り・願いの実現は、確かに容易なことではありませんが、正に「常に心中に銘記して忘れない」ためにも、日々奉唱すべき根幹の祈りと心得るものです。
そこで、3(サン:お日様)世紀の幕開けに際して提案させていただく新たな祈りは、次の言葉です。
「謹みて天照大御神の御開運を祈り奉る
併せて
御聖願達成を祈り奉る」
きっと人様から「御聖願とは…?」と尋ねられると思いますが、その時こそ、教祖宗忠神の説き明かされた天照大御神の御徳の有り難さを知らせる神機(チャンス)です。「お日様(お天道様)の有り難さを人々に伝えること」と回答するだけでも、“お日様教”たる黒住教お道づれの面目躍如ではないかと思います。もっと詳しく紹介する機会があれば、私が本年春に上梓させていただいた「The Sun Century-サン世紀を迎えた日拝の宗教-」(日新社発行)をご活用いただければ幸いです。
太陽、とりわけ昇る朝日に顕現される万物の親神・天照大御神の御開運と、その御徳の有り難さを広く人々に知らせるべく誠を尽くすことは、大御神の分心(わけみたま)をいただく神の子である私たち自身の開運に直結する尊い御道です。天照大御神とご一体の教祖宗忠神が、間違いなく正しき開運の道へとお導き下さいます。喜びと確信をもって、一層有り難く、ともに道の誠を尽くさせていただくお道づれとして、新たな時代もよろしくお願い申し上げます。
最後に、本稿先月号で「まえがき」を紹介いたしました黒住教立教二百年の記念誌の題名は『黒住教二百年史』でした。謹んで訂正させていただきます。