最も新しい“伝統宗教”として

平成27年7月号掲載

 今年から、私は「教区開運祈願祭」と称して、全国の教会所を教区ごとに巡拝させていただいています。岡山県内の第1-1教区から第3-2教区までの6つの教区に始まり、北海道の第20教区に至る、全29教区に区分けされた全国各地の教会所を、今年より毎年教区単位で一巡しながら、教区内の教会所の発展とお道づれの皆様の開運を祈り、本教ならではの温かく清々しく有り難い、信心の交流を深めてまいりたいと願っています。

 去る3月8日に野々浜中教会所(広島県)で開催していただいた第4教区の「教区開運祈願祭」が、記念すべき第1回でした。教団外の御用え(務め)が相次いだ今年の前半でしたが、おかげ様で体調を崩すこともなく、6-1(鳥取県)、6-2(鳥取県)、5-1(島根県)、5-2(島根県)、17(大分県・福岡県・宮崎県)、1-2(岡山県)、1-3(岡山県)、15-1(愛媛県)、10(奈良県・大阪府)、11(京都府・福井県・富山県)、15-3(愛媛県)、14(高知県)の13の教区を計画通りに巡拝させていただき、昨年の立教二百年大祝祭の感激をあらためてご参拝の皆様と共に喜び合い、心新たに黒住教第三世紀の一歩を踏み出すことができています。

 本誌今月号の「御教えをいただく」にも紹介されていますように、今年という年は、平成24年から4年間の“祭り年”の締め括りの年であり、さらに平成20年以来2年ごとに掲げられてきた「お導きいただいて二百年…」に始まる、教祖宗忠様との一層の“ご神縁結び”が呼び掛けられた4つの修行目標の締め括りの年で、且つ新たな“サン世紀”の始まりの年なのです。

 岡山の方言で、気合を入れて新たに物事を始めることを「うったて」と言います。そもそも書道用語で、最初の一筆を入れる際の一瞬筆を止める(置く)ことの意味で、「起筆」とか「始筆」とか「筆入れ」が共通語とのことですが、この「うったて」が、岡山では一般用語に転用されて、日常の会話で当たり前のように用いられています。岡山弁だということを知らない人も多く、私も初めて知った時、「別の言葉が思い当たらない」と驚き当惑したものです。

 「教区開運祈願祭」の講話(御説教)で、私は「今年はうったての年」と称して、掛け替えのない今年という年を、しっかり心を込めて、気合を入れて「一層の信心に励みましょう!」と呼び掛けさせていただいているのですが、この「うったて」を五代教主様が用いていらっしゃる文章を、教団総務の勝部盛行原鹿大教会所(島根県)所長が見付けて届けてくれました。

 「現在はなんの施設もない神道山の山頂に、全く新しい霊地としての施設をこれから建設して参るのでありまして、そのうったてである大教殿の建設は、わが教団史上画期的なことであることは申すまでもありません。こういう教団史上意義ある年にめぐり合った喜びを、道づれの皆様とともにかみしめ、一段とこの道の信心に励まなければならない(後略)」とのお言葉は、昭和47年(1972)1月号の教団機関誌「お道づれ」(後に本誌「日新」と合体)に寄せられた「年頭のことば」の中の一節でした。昭和45年(1970)の車参道の起工式に始まった新霊地の御造営が、いよいよ大教殿を中心とした諸施設建設の段階に達したその年の年頭のお言葉通り、黒住教立教の日である11月11日に、五代様(当時、教主様)のご斎主のもとに大教殿の地鎮祭が執行されたのでした。それは、翌年5月13日にご昇天になる五代様がつとめられた、最後の祭典でもありました。

 現教主様には、神道山ご遷座という大聖業に献身・懸命された当時の教会所所長の墓前に、立教二百年・神道山時代四十年を迎えることができた奉告をなさるべく「感謝の参拝」と称して、教会所巡拝を行って下さっています。

 先人・先輩の赤誠の祈りの上に、黒住教は200年の歴史を重ねてまいりました。本稿先月号に紹介した雑誌「一個人(別冊)」(KKベストセラーズ発刊)のタイトルは「日本の新宗教入門」で、学術上では「幕末以降の日本の宗教」が“新宗教”と定義されているとのことで、「黒住教は、最も古い新宗教」なのだそうですが、「三世紀を迎えて“新宗教”もないのでは…」との思いが募るばかりです。信者の一人ひとりに熱心な信仰心が息づいているという“新宗教”の良さを失うことなく、最も新しい“伝統宗教”として、立教三世紀を力強く歩ませていただく決意を新たにするものです。