有り難キー、面白キー、嬉(うれ)しキー
平成26年6月号掲載
立教二百年の年の、“ありがとうございます運動”推進月間である6月を迎えました。先月号の本稿であらためて説明いたしました「立教二百年神恩報賽(ほうさい)献金」の最中に、“推進月間の推進”の賛同を得るのは困難なことかもしれませんが、私たちの日々の信仰修行の実践である同運動を、「教祖様、ありがとうございます」が修行目標の時期に推し進めないわけにはまいりません。
そこで、私は敢(あ)えて私自身の取り組みを本稿で紹介することにより、一人でも多くの方のご賛同を賜ることができればと念願しています。
ご承知の通り、現在私たちは全教団を挙げての「教祖神報恩 一千万本お祓い献読」の真っ最中です。私は、昨年10月1日から始まったこの信仰運動に際して、実はお祓い一本(シール一枚)につき10円を、日頃からの“ありがとうございます運動”に加えてお供えさせていただいています。毎日のお祓いの本数は人それぞれで、各々(おのおの)のペースでつとめられていますが、私の場合は朝起きて御日拝をつとめ終えて帰宅するまでに15本、入浴中を含めて就寝するまでに15本を基本目標とし、それに日中のご拝(御祈念)の本数を加えて、一日40本を目安にしています。自らに課した“ノルマ”に達しない日も当然ありますが、目標を定めることで不足を補う気持ちが出て、面白いもので一日ちょうど40本平均で現在(5月半ば)に至り、まもなく合計一万本を迎えようとしています。
昨年12月の推進月間も同じペースでお供えを続けたので、いつの間にやら十万円のお供えが余分にできたことを有り難く嬉しく思っていますが、献読期間も後半を迎え、この6月の推進月間は一日20円ペースで頑張りたいと考えています。“ゲーム感覚”というと良くないかもしれませんが、自分で自分の目標を作って達成感を味わいながら、お祓い修行と「ありがとうなる」修行ができるなんて、実に得した気分の毎日です。
私の取り組み事例を、参考と刺激にしていただけたら幸いです。
ところで、教主様が評議委員をおつとめになり、私が理事と総合企画委員をつとめる公益財団法人世界宗教者平和会議(WCRP)日本委員会の機関紙の巻頭言「こころの扉」に、依頼を受けて執筆した文章を以下に掲載させていただきます。「ありがとうなる」、「面白うなる」、「嬉しくなる」とも表現できる、一歩前に足を踏み出して御陽光をいただく積極的信仰姿勢を、掛け替えのない節目の年なればこそ、自ら進んで実践していただきたいと願っています。
「こころの扉」
久々に本欄「こころの扉」に寄稿させていただく機会を得て、思い浮かんだのが黒住教教祖・黒住宗忠の次の言葉でした。
「心一つ開くれば、何か一つ苦しみはなし、何につけても楽しく有り難きことばかりなり。皆心一つを、開くとふさぐとの二つなり」
宗忠の教えは、天地自然に満ち渡る一切万物を生かし育む大御神の御徳の受け皿たる人の心を、いかに養い、用い、直すかを説き示した教えとして、「養心法」とか「用心法」、また「心直しの道」と称されてきました。
何事も、時間の経過とともに新鮮さが失われ、塵(ちり)や汚れが溜まって傷み損なわれるものですが、人の心も例外ではなく、放っておくと不安や不満がストレスとなって蓄積されがちです。元来、人の心は喜怒哀楽に代表される情感豊かな“ナマモノ”なだけに、傷みも早くデリケートで、常日頃からの細やかなケアが必要なはずです。誰もが安心や満足や幸せを追い求めているにもかかわらず、結果的にまるで反対の心境に自らを追い込んでいる人のいかに多いことか…。
「有ること難い(難しい)」、すなわち「滅多(めった)にない」と感じるから「有り難い」と考えると、「有り難う」の反対言葉は「当たり前」と言えますが、本当は、「当たり前」だと思っていたことがどれほど「有り難い」かを「気づく」ことが大切で、それが「心の扉を開く」ことなのだと思います。
江戸時代の宗忠在世中のこと、某家での神事が始まる直前に家の夫人が気まずそうに、「御神前にお供えしている御神酒は、実は前晩主人が飲み残した燗(かん)冷ましで、つい不注意で供えてしまいましたが、直ちに新しいお酒を求めて参りますので、しばらくお待ち下さい」と申し出たのを受けて、「いやいや、おみきは私がそなえましょう」と応じた宗忠が、即吟で次の短歌を詠みました。
「有り難きまた面白き嬉しきと みきをそのうぞ誠なりけれ」
「有り難き」「面白き」「嬉しき」の三つの「き」を「御神酒」にかけて、その上「そのう(そなえる)」を「供える」と「備える」にかけ、ユーモアの中に「“みき”の心が誠の心」と教えた逸話(いつ わ)です。
実は、この「みきの歌」の英訳を試みた時、三つの「き」がどうしても英語にならず困ったのですが、宗忠を敬慕する米国人学者から「心の扉を開く三つの『キー(鍵)』として学ばせていただいた」と絶妙の解釈を逆に教えられました。
「有り難キー」「面白キー」「嬉しキー」で、「こころの扉」を開く人が一人でも多くあらんことを願うものです。