「立教二百年を迎えた黒住教について」(4) (宗教新聞フォーラムでの講演報告)
平成26年11月号掲載
引き続き、「宗教新聞フォーラム」における講演要旨を同紙より転載させていただきます。
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人は天照大御神の子(承前)
元来、天照大御神の本質は、生かし育み、闇から光へ導く善良なるものです。この、すべてを活(い)かすはたらきの神をわが心の神として頂いているのが人間で、私たちは、心の神の座所であり器であるわが心が陰ったり、汚れたり傷ついたりしないように常に心掛けなければならないのです。ただ、心ほど“生(なま)もの”はありません。すぐに熱くなったり、冷たくなったり、固くなったり、軟らかくなったりして、放っておくと汚れ傷み損なわれやすいものです。わが心の神である天照大御神の光が弱まらないように、陽気に楽天的に前向きに徹し、心のごみや雲霧を祓い清めて、光が差し込んでくるように心を直すと、“日の御陰”を頂いて、必ず“おかげ”が現れます。だから、黒住教は「開運の宗教」なのです。こうした説き方で、宗忠の教えを、今の時代の人たちに伝えています。
千日間の参籠
悟りを開いてから10年、多くの人たちが宗忠を信奉するようになると、嫉妬心もあったのか、誹謗(ひぼう)中傷を受けるようになります。どんな宗教・宗派も発展の途上で遭遇することなのでしょう。宗忠も、そのことを書き残しています。
畏れ多くも天照大御神からの天命(てんめい)を直授(じきじゅ)しながら、なぜ批判されるようになったのかと振り返って、宗忠はあの感激が少し薄らいでいることに気付きます。自らを深く省みた宗忠は、10年前の大感激を取り戻すべく、千日間の参籠生活を始めます。これが「悟後(ごご)の修行」で、当時、今村宮の神職も続けていましたので、昼間は神職を務め、夜は教えを説き歩き、そのまま今村宮に籠(こ)もって神前で祓いの修行をする生活を3年、続けたのです。
二代の宗信は短命でしたが、三代宗篤を授かります。宗信は若い頃から病弱で、3年間の参籠の期間に危篤に陥ったことがあります。親族が集まる中にもかかわらず宗忠が今村宮に出向くので、夫人が今日(きょう)だけは家にいるように懇願しましたが、宗忠は「ほかならぬ天照大御神のもとに行くのだから」と今村宮での参籠を続けました。いよいよ危なくなり、使いの者が今村宮に駆け込むと、その者に御陽気を授け、取り次がせたところ、宗信は一命を取り留めたという話が残されています。
「悟後の修行」を終えて宗忠が自らに掲げたのが、先に述べた「御訓誡(ごくんかい)七カ条」です。黒住教では一番大切な教えの一つとされています。
「日々家内心得の事
一、神国の人に生まれ常に信心なき事
一、腹を立て物を苦にする事
一、己が慢心にて人を見下す事
一、人の悪を見て己れに悪心をます事
一、無病の時家業おこたりの事
一、誠の道に入りながら心に誠なき事
一、日々有り難きことを取り外す事
右の条々常に忘るべからず
恐るべし 恐るべし
立ち向こう人の心は鏡なり
己が姿を移してやみん」
神国とは神国日本という狭い意味ではなく、天照大御神の御光が及ぶ全世界という広い意味です。20歳の頃に自らに課した五カ条に、千日参籠で吟味した二カ条を加え七カ条にしたもので、その順番も重要だと思います。天照大御神の分心をいただく神の子であるから、その心を痛め損なわないようにと、生きる姿勢を自らが示しました。最後の歌の「立ち向こう」は、斜に構えると鏡に映らないので真正面から向き合うという意味であり、「移して」は、鏡であれば本来「映して」でしょうが、自らを移動する、すなわち相手の立場に立つという意味を込めたものだと解釈しています。
人生は「生き通し」
平成24年(2012)11月3・4日に、京都の神楽岡・宗忠神社のご鎮座百五十年記念祝祭を斎行しました。宗忠の一生は病み悩み苦しめる人たちを教え導くもので、多くの人が集まるようになった弘化3年(1846)に、最初の教団規則とも言える「御定書(おさだめがき)」が、門弟行司の名で初めて作られます。勝手にまじない(お取り次ぎ)をしないことなど、教則の原点になるようなことが定められました。門弟行事は岡山藩士、農民、瓦師、漁師、商人など9人で、身分の違いに関係なく教えが広まっていたことが分かります。人はみな神の子で平等であるとの意識があり、宗忠の説法を聞く時には、武士は刀を刀掛けに掛け、到着順に座っていました。一同平伏の時には、農民の尻に向けて武士が頭を下げるということもあったのです。
嘉永3年(1850)2月25日(旧暦)、宗忠は天寿を全うし、従容と形を脱ぎます。私たちは亡くなることを、形を脱ぐ、御姿を離れると言います。霊魂不滅という言葉こそ使っていませんが、宗忠はそれを「生き通し」と言っています。
教祖神詠に「限り無き命の道を導かん 重ね給えよ萬代(よろずよ)までも」「天地と同い年なる道の友 変わりたもうな萬代までも」とあります。また、毎朝の日拝では「日々に朝日に向かい心から 限りなき身と思う嬉(うれ)しさ」という神詠を唱えます。よく考えてみると不思議な歌で、「限りなき身」というのは、人の本体は肉体ではなく、天照大御神の分け御霊(みたま)であるという意味で、その確信を得ていたからこそ、宗忠は毎朝、昇る朝日を通して、自らの本体はそこにあると悟りを深めていたのです。「生き通し」とは命の永続性、永遠性を意味していますが、そうすると、人は前世や来世に意識が向きがちになるので、それに釘を刺すかのように、「生き通しとは現在只今(ただいま)なり」と明言しています。「永遠の今」という哲学用語もありますが、今という瞬間の連続が永遠であり、もし来世があるとしても、その来世に心を煩わせるのではなく、常に二度と来ないその時の今を大切にし、積み重ね、前向きに感謝して生きることが大切だと教えています。宗忠の教えの根本です。