あらたまの年のはじめのきょうよりは
         よろずの宝こころまかせに(御歌三二号)

平成27年1月号掲載

黒住教立教三世紀、まことにおめでとうございます。新世紀の「年のはじめの今日(きょう)よりは、萬(よろず)の宝、心任せに」と教祖宗忠神が詠まれた御心をわが想(おも)いとさせていただくべく、日々「道ごころ」を養ってまいりましょう。

教祖神のお説教が記された「道の理(ことわり)」の締めくくりは、「古(いにしえ)の心も形なし、今の心も形なし。心のみにして形を忘るる時は、今も神代(かみよ)、神代(じんだい)今日(こんにち)、今日神代。世の中の事は心程ずつの事なり。心が神になれば即ち神なり」です。「心は主人なり、形は家来なり。悟れば心が身を使い、迷えば身が心を使う」(同)とも御教え下さっているように、とかく本末転倒しがちな心と形(身)のバランスの在り方が肝心なのです。

ところで、「心なおしの道」と称(たた)えられてきた黒住教の教えの基本が講義形式で著(あらわ)されたのが、2年前に発行された「誠之道(まことのみち)」(副教主様著、日新社刊)です。巻頭に全文掲載された「道の理」に続いて、「神観」、「人間観」、そして「誠」が説かれ、「養心」、「用心」という心の養い方と用い方に関する御教えが解説されてから、「我」と「迷い」の対処法が示されています。今も昔も形のない「心」を、いかに直し、治して、「誠」一つになるか…。もちろん簡単なことであるはずはありませんが、「誠が道」すなわち「誠(まこと)之(これ)道(みち)」と信じて、ひたむきに誠を尽くすことが私たちの修行です。

教祖神の御教えの、いわば現実的で有り難いことは、「形を忘るる時」、「形は家来」と表現して、形を完全否定されていないことです。本末の「末」であり、主従の「従」としてのバランスさえ誤らなければ、「よろずの宝」は「こころまかせ(心次第)」と明言して下さっていることを、喜び勇んで確信して、“讃世紀”をともに歩んでまいりましょう。

天地の誠一つに止(とど)まれば富貴自在の身ともなりなん
(伝御神詠)