修行日誌”は終わっても、
 修行の日々は終わりません

平成29年9月号掲載

 昭和63年(1988)11月号から始まった本稿「神道山からの風便り私の修行日誌」は、28年と11カ月目になる今月号で最終回を迎えることになりました。計算通りの347回目にならないのは、平成元年11月号で、当時婚約者であった現婦人会長の家内とのインタビュー記事が特別企画として組まれたからでしたが、2年間の英国留学を終えて教団に戻ってからの日々に体験した出来事や出会いを通して学び感じたことを、毎月報告させていただけたこと自体が、私にとって何よりの修行となりました。

 最終回となる今月号では、先月に開催された「比叡山宗教サミット30周年記念世界宗教者平和の祈りの集い」(別掲)でのエピソードを紹介したいと思います。

 今回の祈りの集いでは、期間限定の主催団体である「日本宗教代表者会議」発足に際しての設立準備委員会委員長という大役を仰せつかり、その役職で昨年9月にアッシジ(イタリア)で開かれた祈りの集いに出席して、フランシスコ・ローマ法王にご挨拶させていただく機会に恵まれました。そして「日本宗教代表者会議」発足後は、事実上、委員長の職務を任された常任委員会副委員長として大会運営に関わり、当日は分科会の座長を務めさせていただきました。式典・行事の内容もさることながら、今回、私にとって最も有り難くも嬉しい出来事が、中東の国シリアから出席したファーロック・アクビック師との再会でした。

 世界中が注視するシリアからの参加ということで、海外18カ国25人の出席者の中で最も注目されたアクビック師は、平成2年(1990)秋に本教が主催した「神道国際研究会」に招いたシリアのイスラーム最高権威者(グランド・ムフティ、当時)のアフマド・クフタロ師の随行者として神道山を訪れたのが最初の訪日でした。国立京都国際会館での祈りの集い初日の日程の最後に「シリアからの緊急メッセージ」を訴えた師の最初の言葉は、「私が初めてこの美しい平和な国、日本を訪れたのは27年前…」でした。

 その27年前の平成2年、「神道国際研究会」への出席とその後の東京での公務を終えて帰国したクフタロ師からの御礼状を第一秘書として代筆したアクビック師は、神道山での数日間を「最も美しい思い出」と称(たた)えて、「May Allah God Omikami bless us all.」(アラー、ゴッド、大御神の御恵みが我々すべてにもたらされますように)の祈りで文章を締め括(くく)っておられます。(手紙の全文は、本稿平成27年4月号に紹介しています)

 原理主義者の排他性ばかりが報道されがちですが、寛容なイスラームの存在の証(あかし)として、私はこの御礼状を大切に保管していて、今回アクビック師にお見せしようと思ってコピーを持参していました。自分がタイプした手紙をじっくり読んだ後で「(内戦で全て破壊されて)何も残っていないので、このコピーをいただけませんか」という師の申し出を断る理由などありません。シリアの復興を祈って、固い握手を交わしました。

 2004年に逝去したアフマド・クフタロ師は、最晩年の2001年5月に当時のローマ法王ヨハネ・パウロ二世を史上初めてモスク(イスラーム寺院)に迎え入れたイスラーム指導者として偉大な足跡を残しておられますが、奇(く)しくもその年の9月11日に起こった米国同時多発テロ事件によりイスラーム対非イスラームの「文明の衝突」が取り沙汰されるに及んで、「イスラーム指導者とともに、今こそ平和を祈ろう!」と世界に呼び掛けたのが、他ならぬヨハネ・パウロ二世法王でした。2005年に逝去した法王にとっても最晩年の2002年1月、カトリックの聖地であり、長年世界の平和が祈り続けられてきたアッシジにおいて開かれた祈りの集いに参加させていただく機会を得た私は、「グランド・ムフティ(クフタロ師のこと)からローマ法王に宛てた親書を言付かりたい…」という手紙を書いて、アクビック師に送りました。

 個人で働き掛けられるような次元の話では決してない申し出を異例の取り扱いで対応してもらえたのは、アクビック師との信頼関係があったればこそのことでした。クフタロ師からのメッセージの記載されたアクビック師からの手紙の全文は平成14年4月号の本稿に紹介していますが、この親書を持参してイタリアに渡った私を待っていて下さったのは、教主様とも親しかった元上智大学学長の故ヨセフ・ピタウ神父(当時、ローマ法王庁教育省次官)で、「私が、直接法王様に手渡しましょう」と言って、取り次ぎ役を喜んでつとめて下さったのでした。(平成27年3月号の本稿もご参照下さい)

 アクビック師との再会は、私にとって今回の祈りの集いの二日間で最も心に残る出来事でしたが、感傷に浸ってばかりはいられないのがシリアの余りにも厳しい現状です。アフマド・クフタロ師という全国民から敬慕されていた最高権威者(グランド・ムフティ)を失って、シリアはバランスを崩していったといわれます。祖国の復興に賭けるアクビック師の取り組みに何か少しでもお役に立てることはないかと模索しながら、まずは心を寄せて祈り続けることが、今回の祈りの集いに関わらせていただいた具体的な実践だと思っています。遠い中東の国のことではありますが、内戦と空爆による惨状は報道を通じてご存じのことでしょうから、一人でも多くの方が彼(か)の地で苦しみに喘(あえ)ぐ人々への思いを新たにしていただければと念願します。

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 いよいよ今月18日に第七代教主を拝命します。教団機関誌である本誌『日新』において、来月からは教主として「道ごころ」を執筆させていただきます。「神道山からの風便り私の修行日誌」は今回で終了しますが、“私の修行”はまだまだ続きます。というか、いよいよこれからが“本番”だと思っています。黒住教教主による「道ごころ」に相応(ふさわ)しい “説教”ができるように日々修行に励みながら、まずは「道(ミチ)のこころ」を綴(つづ)ってまいりたいと思いますので、今後ともよろしくお願い申し上げます。