「まることの世界建設」を目指して
全ての人のご分心の御開運を祈り奉る

平成29年5月号掲載

 本誌別掲の通り、欽行131年の宗忠神社御神幸(ごしんこう)が先月2日に有り難く執り行われました。とりわけ、教主様と私と宗芳の三代三人が揃って装束に身を正しておつとめできた、記念すべき御神幸となりました。この御神幸が、今から数えて66年前の昭和27年に復活なった時に掲げられたのが「世界大和(せかいたいわ)・万民和楽(ばんみんわらく)」という祈りです。戦後復興の槌音が響く中に “御神幸という祈り”が厳粛につとめられていたからこそ、6年前の東日本大震災直後にあっても、自粛という選択ではない “祈りに徹した御神幸”が正に粛々と執行されたのです。

 私は「世界大和・万民和楽」という尊い祈りの本にある精神は、明治の頃から謳われてきた「まることの世界建設」であると思っています。

 御神詠「世の中はみな丸事のうちなればともに祈らんもとの心を」(御歌二〇二号)に示された教祖神の御教えに基づく「まることの世界建設」という理念は、平成5年(1993)に教主様から賜った「告諭 教祖神百五十年大祭を目指して」の冒頭にも掲げられています。

 「立教160年の年の昭和49年、まることの世界建設を目指す私たち黒住教は、教化の源泉大教殿を霊地大元から有り難いお日の出を求めてここ神道山に遷座いたしました(後略)」

 黒住教の存在意義・存在目的である教祖宗忠神畢生(ひっせい、生涯かけて)の祈り「御聖願(ごせいがん)」すなわち「天照らす神の御徳を世の人に残らず早く知らせたきもの」の達成のために謳われた「まることの世界建設」は、今も変わらない本教の基本理念なのです。

 ここで、あらためて私たちにとって最も大切な祈りの時である御日拝において毎朝奏上される祝詞(のりと)を全文記載しますので、心新たに拝読して下さい。
「今日の朝日の豊栄登りに掛巻も綾に畏き天照大御神の大御前を拝み奉りて畏み畏みも白さく日々並べて二六時中天津大陽気を賜うが故に人は申すも更なり萬物に至る迄悉皆く生き通しに生き栄ゆる広く厚き恩頼を有難く尊び重しみ謝び奉らくを平けく安らけく聞召し諾い給いて斯道の道連を始め普く世の人々に弥益々大陽気を授け給い受けしめ給いて玉の緒長く気息の緒絶えず生き通しに生き栄えしめ給い国の内外を別たず大和しき世界の建設に弥益々大御神徳を被らしめ給い守り恵み幸え給えと畏み畏みも祈り奉らくと白す」

 あえてルビを付けませんでしたが、読み方は分からなくても「常に満ち渡る天照大御神のご神徳により一切万物が生き栄えていることへの歓喜と感謝が表明され、一層のおかげをいただいて全ての人々が生き通しに生き栄えることが願われ、そして世界大和の建設が祈られていること」を理解していただけると思います。毎朝の御日拝では、お道づれ各位にはよくご存じのように、祝詞奏上に続いて御陽気修行(その間、病み悩み苦しむ人のために、心中にて「ご分心の御開運の祈り」)、そして「日拝奉讃歌」と「御開運の祈り併せて御聖願達成の祈り」が奉唱されます。

【ご分心の御開運の祈り】
 天照大御神様 ご一体の教祖宗忠の神様!
 どうぞ○○のご分心をして昇る朝日のように
 もっと大きくいきいきと
 しっかりとお鎮め下さい
    オー オー オー
 そして○○の病・苦しみの元である罪けがれを
    祓え給え清め給え 祓え給え清め給え
    祓え給え清め給え
【日拝奉讃歌】
 天照らす神の御徳は天つちに
   みちてかけなき恵みなるかな
 日々(にちにち)に朝日に向かい心から
   限りなき身と思う嬉しさ
 かくこそと詠ませ給える御教えを
   心に彫(え)りて日々につとめん日々につとめん
【御開運の祈り併せて御聖願達成の祈り】
 謹みて天照大御神の御開運を祈り奉る
 併せて御聖願達成を祈り奉る

 私は、教主就任に際して発表させていただく「告諭」において、「御聖願達成」すなわち「まることの世界建設」を目指す本教の基本理念をあらためて明示して、世の中の全ての人々の心の神たる天照大御神のご分心の御開運を祈り奉る黒住教教主でありたいとの思いと覚悟を、お道づれ各位に宣言させていただく所存です。