錬誠開運(れんせいかいうん)尽誠道楽(じんせいどうらく)

平成29年3月号掲載

よりよく生きるための“五つの誠”
  一、祈りの誠
  一、孝養の誠
  一、奉仕の誠
  一、感謝の誠
  一、反省の誠

 先代の五代宗和教主様は、黒住教教師の研修会を「錬誠(れんせい)会」と名付けて、誠を「錬(ね)る」ことの大切を教えて下さいました。金工師が素材の金属を、陶芸家が陶土を、パン職人やそば・うどんの職人が生地を、打って伸ばして揉んで押して、精魂込めて錬り上げるように、私たちの本心・真心たる誠も、しっかり錬ることで逞しく鍛えられ養われるのです。

 同時に、誠は「尽くす」能動的行為です。キリスト者が「愛は何かと求めるよりも愛することが大切」と教え、仏教者が「慈悲の意味を尋ねるより慈しみ憐(あわれ)みなさい」と説き諭すように、誠の何たるかを探求すること以上に、誠実に誠意を尽くすことが自他共に救われる道です。

 そこで、「誠を錬る」と「誠を尽くす」の観点から「よりよく生きるための“五つの誠”」を、あらためて学ばせていただきます。

 私たちにとって、「祈り」とは端的に申せば、お祓いを上げることです。大祓詞は、諳(そら)んじる(暗誦する)ことができるまでが難修行ですが、あえて意味を求めずに繰り返して唱えて体得することで、太古からの言霊(ことだま、一言一言に魂が宿るという信仰)の伝統をそのまま受け継ぐ日本古来の神道の祈りを体現できるのです。暗誦できるまでは読み上げで構いません。とにかく、一本でも多く、ひたすらお祓いを上げることが本教の祈りの基本です。ここでは、お祓いの上げ方は説明しませんが、徹底してお祓いを上げることで、尊い日の御蔭(みかげ)は必ずいただけるのです。

 この「お祓い修行」と、「御陽気修行」、そして「日拝修行」の三大修行を励行して「祈りの誠」を錬り、「人のために祈る」という「祈りの誠」を尽くす黒住教信仰者(お道づれ)であっていただきたく存じます。

 次に、「孝養」に込められた先祖と親への敬仰は、“親孝行の教え”である黒住教信仰の根幹です。今ここに自分自身が存在する源(みなもと)への敬いと報恩の心なしに、どんな理屈もまかり通りません。「孝養の誠」を錬って尽くして、自らの根っこであるアイデンティティー(存在価値)を確立することは、間違いなくわが人生の開運の秘訣です。

 私たちにとって、「祈り」とは端的に申せば、お祓いを上げることです。大祓詞は、諳(そら)んじる(暗誦する)ことができるまでが難修行ですが、あえて意味を求めずに繰り返して唱えて体得することで、太古からの言霊(ことだま、一言一言に魂が宿るという信仰)の伝統をそのまま受け継ぐ日本古来の神道の祈りを体現できるのです。暗誦できるまでは読み上げで構いません。とにかく、一本でも多く、ひたすらお祓いを上げることが本教の祈りの基本です。ここでは、お祓いの上げ方は説明しませんが、徹底してお祓いを上げることで、尊い日の御蔭(みかげ)は必ずいただけるのです。

 この「お祓い修行」と、「御陽気修行」、そして「日拝修行」の三大修行を励行して「祈りの誠」を錬り、「人のために祈る」という「祈りの誠」を尽くす黒住教信仰者(お道づれ)であっていただきたく存じます。

次に、「孝養」に込められた先祖と親への敬仰は、“親孝行の教え”である黒住教信仰の根幹です。今ここに自分自身が存在する源(みなもと)への敬いと報恩の心なしに、どんな理屈もまかり通りません。「孝養の誠」を錬って尽くして、自らの根っこであるアイデンティティー(存在価値)を確立することは、間違いなくわが人生の開運の秘訣です。

 そして、神に、人に、社会に、他のために、「奉仕の誠」を尽くすことは、教祖宗忠神以来、本教のお道づれが常に実践を心掛けてきた日常生活の基本姿勢です。与えるところに与えられる、尽くすところに尽くされる“まること”の循環のはたらきによって、自らの「奉仕の誠」はさらに錬られて養われ、自他ともに喜びを分かち合える真の心の栄養になるのです。

 最後に、「感謝の誠」と「反省の誠」は表裏一体の、“謝の心(謝意)”です。心静かに自らの内面を思惟(深く思考すること)・思慮(慎重に思い巡らすこと)して、今ここに生かされて生きていることへの感謝と、いつの間にか生じさせていた“罪(積み)・穢(けがれ)れ(気枯れ)”に対する謝罪を、素直に正直に誠実に顧み省みることが、「感謝の誠」と「反省の誠」を錬ることであり尽くすことだと信じます。

 冒頭の「錬誠開運 尽誠道楽」は、今まで学んできた「誠を錬る」と「誠を尽くす」ことで、「開運」と「道の楽しみ」を得られることを願った祈りの詞(ことば)です。本稿先月号で紹介した「一切神徳 神徳昭々」に続けて唱えて、「一切神徳 神徳昭々 錬誠開運 尽誠道楽」と心の中で何度も繰り返していただければと思います。

 新たな祈りの詞を提唱させていただくわけですから、実は、私は一年ほど前からこの祈りを心中で唱え続けてきました。今では、お祓いを上げている間や、御陽気をいただいている時にも、心地よいリズムで響いてきます。そして、来月号の本稿で紹介しますが、最後に「教祖様、有り難うございます。守り給え幸(さき)わい給え」と唱えて祈りを締め括ります。

先月、本稿で「天照大御神のご神徳をどうやって『知るか』、そして『知らせるか』を、心新たに黒住教三世紀のメイン・テーマ(主題)として位置付けなければならないと思います」と申しました。信仰は体験であり実感です。日の御徳(みとく)の中で「日乗り」なる祈りを実践して、日の御蔭(みかげ)を体感させていただく「守られて幸わう」お道づれが溢(あふ)れることを、心から願い祈っています。