教主就任の年

平成29年1月号掲載

謹賀新年

 立教203年の本年9月18日、現教主様の満80歳のお誕生日に、私はいよいよ黒住教第七代教主を拝命いたします。もはや若輩とはいえない満55歳での教主就任となりますが、修行不足も甚だしい未熟者が、これ以上ない大役をつとめきれるのか不安で一杯です。「教団内外の方々の期待に十分応えられるのか…」の思いを抱きつつ、教祖宗忠神を先祖にいただく黒住家の直系長男として命を授かった者の宿命を有り難き天命と自覚して、その使命を果たすために今までの人生を歩んできたつもりですので、奮い立つ思いで「教主就任の年」の幕開けを迎えています。あらためて、この一年、どうぞよろしくお願い申し上げます。

 さて、例年のことですが、宗教専門紙からの求めに応じて寄稿した今年の年頭所感を紹介します。

世界の大和を共に祈って

 言葉にとらわれ過ぎてはいけませんが、「大和(たいわ・だいわ)」は「大きな和」という意味で、「平らかな和」である「平和」とは、厳密に申せば異なります。世界が「平らかな和」であるに越したことはありませんが、あらゆる分野で細分化・差別化が進み、それぞれの個性の尊重が当然の時代に、何はさておき「平らか」であることが優先されるべきかと考えると、違和感を覚えます。相互の違いを認めた上で、全てと調和・共存できる「大きな和(大調和)」の成就を願い祈りたいものです。

 昨年と今年は、国の内外で世界の“大調和”が最大規模で祈り続けられて30年という節目の年です。30年前、比叡山で「宗教サミット」が初めて開催されました。その切っ掛けになったのは、前年にローマ法王の呼び掛けで行われた「アッシジの祈り」でした。

 今年8月の「比叡山宗教サミット30周年記念」の「祈りの集い」に先駆けて、昨年秋に期間限定の主催団体である「日本宗教代表者会議」が10年ぶりに立ち上げられましたが、その設立準備委員会の委員長を不詳私が仰せつかり、光栄な役職を預かった身で、昨年9月にイタリア・アッシジで開催された「30年記念」の「国際集会」に招かれ、現法王に謁見する機会を与えられました。(本誌昨年11月号参照)

 異なる価値観から不和や不信が生じやすい時代なだけに、大和の地で大和を共に祈りたく存じます。

         ○                  ○

 黒住教立教二百年を中心とした“祭り年”を有り難くつとめ終え、いよいよ教主就任を前にしたこのタイミングで、国内外で世界的な祈りの集いが30年の節目を迎え、そこで日本の宗教者を代表してローマ法王と謁見の機会を得るという、まさにご神慮(おはからい)以外の何物でもないお導きをいただき恐れ入っています。黒住教教主の責務の重さを暗示されているようで、一層身が引き締まる思いです。

 一方で、本稿先月号でご挨拶申し上げましたように、昨年末の冬至大祭をもって4年間つとめた教務総長職を退かせていただきました。後任の勝部盛行黒住教原鹿大教会所(島根県)所長は、教団総務として私を支えてくれた、“立教三世紀”の黒住教の歩みを最も深く理解してくれている一人です。新教主として、心から信頼して教団実務を任せられる教務総長を得たことを喜んでいます。教団の信仰力と布教力の発揚・伸展と、副教主である私が実務責任者であっては取り組めなかった、現実的な諸課題の解決・改善に力を発揮してもらいたいと念願しています。

 いま、信仰力と布教力と表記しましたが、万物の親神である天照大御神、ご一体の教祖宗忠神、そして各々のご先祖の御霊(霊神)をも含む八百萬神への「感謝の祈りと報恩の奉仕」に誠を尽くすことこそ、黒住教教主としての神務と心得ます。黒住教は、“ありがとうなる”宗教です。教祖宗忠神が徹底して教え示された天照大御神のご神徳の有り難さを信じ切ってひたすら祈り、報恩の心で人に社会に、とりわけ病み悩み苦しむ人々に奉仕の誠を尽くす、黒住教信仰者(お道づれ)の先頭に立って、教団内外の人々に“日の御蔭”を取り次ぐ黒住教教主としての天命を確と果たしてまいりたく存じます。