教務総長退任のご挨拶

平成28年12月号掲載

 「黒住教立教二百年大祝祭」を中心とする“祭り年”の始まりの年の冬至、すなわち「神楽岡・宗忠神社ご鎮座百五十年記念祝祭」が厳粛に斎行されて間もなくの平成24年12月22日から、丸4年間務めた黒住教教務総長職を、今月21日の冬至大祭をもって引かせていただくことになりました。次期教主である副教主が教団の代表役員という実務責任者を兼務する前例のない体制でしたが、全国のお道づれの皆様の深いご理解と熱心なご協力により、立教二百年という大きな節目をつとめ終えることができたことを、心から有り難く思っております。

 平成25年の正月、私は本稿を通じて「教務総長兼務就任のご挨拶」を申し上げ、その中で次のように述べました。

 「今の大きな節目は、教団の明日を決する時だと痛感しています。本教に限らず日本の伝統的な精神文化にとって大切な礎であった地縁や血縁、郷土や先祖への思い、その他諸々の風習・慣例といったものが全国的規模で弱まり、過疎と高齢化で村落は疲弊して、“大切な日本のこころ”をいかに次世代に繋ぐかは現代日本社会が抱える大問題です。この大問題を真正面から突き付けられているのが、今のわが教団の現状…というか窮状です。この度の御命は、再来年(平成27年)以降『立教三百年』に向かって歩みを始める本教の舵取りを任されたことだと思っています」

 「立教三百年」に向けた“百年の計”を立てられたかどうかはいつの日か評価していただくとして、田中愼壹朗前教務総長当局期に「~悠久の歴史に足跡を~」と題して示された『ご案内』の四本柱である「先祖まつり」、「わが家の誓い」、「立教二百年基金」、「神恩報賽献金」の成就を中心とした具体的な計画推進に対して、お道づれ各位が一丸となって取り組んでいただけたことは間違いなく教団の将来の礎になりました。

 「先祖まつり」を通して、大教殿の祖霊殿に隣接して「奉告名簿納め所」が設えられ、教祖宗忠神以来の全お道づれ(特に、家宗が黒住教の教徒)のご先祖様が形の上でも神道山に直結され、各家庭の霊舎(みたまや)と各教会所の祖霊舎と大教殿の祖霊殿が一本に結ばれました。そして「わが家の誓い」を通して、全国のお道づれの情報が整理・整頓され、教団的にきめ細やかな配慮ができる環境が整いました。さらに「神恩報賽献金」の尊い浄財により“祭り年”の諸行事と環境整備を為し終えることができるとともに、教団の将来のための「立教二百年基金」がいよいよ機能し始めました。

 教務総長就任のご挨拶で申し上げた、地方の過疎・高齢化は深刻さを増す一方です。地域の後継者を失わないために、離れて暮らす次世代との繋がりを組織全体で守らなければなりません。『ご案内』で示された四本柱によって三世紀を歩む教団の基礎固めができたことは、この4年間の何よりの成果です。

 一方、地方が抱える深刻な問題の一つとなっている“お墓事情”への対応策でもあるのが、今年竣工した「神道山霊苑殿」です。16年前に建築された「宗忠神社祖霊殿」の増築計画が発展して神道山に建設されることになった霊苑殿は、結果的に「立教二百年」を記念する施設となり、すでに予想を超える多くの方々に喜んでいただきながら、教団の財政的基盤を支える有り難い存在になっています。

 教団を支える存在という点では、「特志信徒」の見直しを数年来図ってきました。「特志信徒」は、本来“黒住教特別会員”的なお道づれの誇りであるとともに、教団最高議決機関である「黒住教教議会」の議員資格として黒住教教規(法人規則)にも明文化されている重要な立場なのですが、経年により明らかに形骸化していました。お道づれの信仰運動である「ありがとうございます運動」とともに、本教ならではの“信仰の証”としての本来の姿に戻す下地が整えられたと思っています。

 さらに、私が教務総長を仰せつかっている間に、何としても結論を出しておかねばならないと覚悟していたのが「教資金の改定」でした。「立教二百年大祝祭」を終えた直後の教議会で、教会所単位の教団会費である「教資金」の不公平感の是正に道をつける決意を表明して、2年かけて所長各位の納得・了承の上での調整ができ、来年から新たな基準で実施されることになりました。全教団的な視座に立って、ご理解とご協力をいただいた所長各位に、心から感謝しています。

 いよいよ、新体制の下に本格的な“立教サン世紀”がスタートします。ご承知の通り、来年9月18日からは第七代黒住教教主として重責を果たしてまいります。 天照大御神、ご一体の教祖宗忠神への信心を揺るぎないものにして、世のため人のため、とりわけ病み悩み苦しむ方々のために、ともに一層の道の誠を尽くしてまいりましょう。今後とも、何卒よろしくお願い申し上げます。