アッシジ(イタリア)訪問 日本宗教代表者会議 設立準備委員長として

平成28年11月号掲載

 本誌別掲のように、去る9月18日から「平和のための国際集会アッシジ」がイタリア中部のカトリックの聖地アッシジで開かれ、私は日本の宗教者の代表の一人として招かれて出席しました。

 今からちょうど30年前の昭和61年(1986)10月に、「世界平和の祈りの集い」が時のローマ法王ヨハネ・パウロ二世の主宰によって開催された時、私はロンドン大学での留学生活を始めたばかりでした。まだ世界が東西に分断されていた冷戦の時代に、ひとり英国で暮らし始めてすぐに接した「ローマ法王の呼び掛けで、世界の主要な宗教指導者が一堂に会して平和を祈った…」というニュースを、今も鮮明に覚えています。2年間の英国留学中の“宝物”として、「平和バス旅行」(青年宗教者たちと宗派を超えて平和を祈ったロンドン-モスクワ間のバス巡礼)と「グローバル・サバイバル・カンファレンス」(世界各国の政治家、宗教者、科学者、ジャーナリストの代表による国際会議に、最年少正式出席者として参加)をいつも思い起こしますが、今から思えばアッシジとのご縁も、私の留学に欠かせない出来事だったのかもしれません。

 今回、私にとって3度目のアッシジ訪問でした。9・11米国同時多発テロ後、世界をイスラームとの対立の時代に陥らせてはならないと、最晩年のヨハネ・パウロ二世法王が決死の覚悟で諸宗教者に呼び掛けて開いた「祈りの集い」に、「グローバル・サバイバル・カンファレンス」で出会って以来親しくしていたフランシスコ修道会のM・ミッチー神父の招きで出席したのが初訪問で、平成14年(2002)1月のことでした。2度目は、9・11から10年、アッシジでの最初の「祈りの集い」から4半世紀の平成23年(2011)10月に行われた集会で、当時のローマ法王ベネディクト十六世との謁見の機会まで与えられました。

 そして今回、今までと異なる特別な立場でアッシジを訪れることになったことを、大変有り難く思っています。

 本誌先月号の「教主様に伺う|教祖神御教語」で紹介されているように、30年前のアッシジでの集いに応じる形で、明くる昭和62年(1987)8月に日本で開催されたのが「比叡山宗教サミット」でした。時の山田惠諦天台座主がアッシジの祈りに出席して、ヨハネ・パウロ二世法王に直接話をして始められた宗教サミットが、来年30周年を迎えます。節目の大会は、主催団体として「日本宗教代表者会議」が期間限定で設立されて開催されるのですが、この代表者会議設立準備委員会の委員長を不肖私が仰せつかり、私の名のもとに全国の宗教教団に設立に向けた案内状が送られました。具体的には天台宗務総長が事務総長として指揮を執られるので、私が責任を預かるものではありませんが、何とも光栄な役職をいただいたことでした。

 アッシジを訪れた時、私は「日本宗教代表者会議設立準備委員長」としてフランシスコ現ローマ法王にご挨拶する機会をいただきました。まだ、全くの未定なのですが、実は来年8月の、30周年記念の「比叡山宗教サミット」開催の頃、ローマ法王にはアジア諸国への歴訪が計画されているとのことで、この度、現森川宏映天台座主がアッシジの祈りに出席して、フランシスコ法王に来年のサミットへの出席を検討いただきたい旨を直接申し出られました。「準備委員長からも、ローマ法王にお願いしていただきたい…」と依頼されるまでもなく、私は、法王に謁見した際に「日本にお迎えできることを心待ちにしています」と英語で挨拶して、握手をしました。ご本人は日本訪問を強く望んでいらっしゃるとのことなので、握る手に力が加わって何度も頷かれた笑顔は本心の現れだと信じています。

 おかげさまで、本稿先月号で紹介した分科会での発表も好評価をいただき、主催した聖エジディオ共同体の責任者からは「貴方の発言のような具体的な対話と平和の取り組みこそ、私たちが聞きたかった内容」と非常に喜んでもらえました。

 イタリアへの出発直前まで会議が続き、帰国翌日から出張と休む間もない日々でしたが、随行記に紹介してもらっているように、実は数日“ローマで休日”も満喫させていただきました。2000年以上昔の遺跡に囲まれながら、まずは300年に向けて本教の歴史を確かに刻んで行かねばと心新たにした旅でもありました。