平和のための国際集会 アッシジ「アジアの宗教:対話と平和」

平成28年10月号掲載

 イタリアのアッシジにおいて、かつて同地で元ローマ教皇ヨハネ・パウロ二世が開催した世界平和祈祷集会の30周年記念として、「平和のための国際集会」が9月18日から20日にかけて開催されました。副教主様には、主催の聖エジディオ共同体に招かれてご出張になり、「アジアの宗教:対話と平和」と題しての発言要請にもお応えになりました。

 今号の「神道山からの風便り」では、その発言原稿を紹介させていただきます。なお、随行記を次号に掲載の予定です。(編集部)

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 仏教が伝来した西暦7世紀以来、日本は「神仏習合」といって古来の伝統的な信仰である神道と仏陀の教えが確立された仏教が相互に影響を及ぼしながら共存・共有され、いわば神道と仏教を一括りにして信仰していたといえる独自の宗教文化を創出してきました。長きにわたって、神道の社殿に仏像が安置され、また仏教の寺院に神社や神道のシンボルである鳥居があるのは、全く珍しい光景ではありませんでした。今から150年ほど前に、西欧的近代化を図るべく時の明治新政府が神道と仏教を法的に分離して「神仏習合」と呼ばれる歴史は終わりましたが、日本人の日常生活から一方だけを消し去ることは到底できるはずもなく、神道と仏教を共に尊重する伝統は、西暦21世紀の現在も変わることのない、日本の宗教文化の基本的特質です。

 そもそも神道では、信仰の対象となる崇高な存在や霊妙な自然界のはたらきを全て「神」と称えて、その数には限りがないため「八百万神(無数の神)」と崇め祀って、手を合わせて祈ってきました。いうなれば、日本人にとって世の中の尊い存在やはたらきは、全て祈る対象でした。遥か千数百年の昔に開明的な仏陀の教えを違和感なく崇敬したのも、西暦16世紀に伝えられたイエスの厳かな教えに素直に頭を垂れたのも、日本人の信仰観からすると極めて自然な姿であったと考えられます。

 歴史家でも宗教学者でもない私が日本の宗教文化と日本人の信仰観を振り返ったのは、異なる宗教に対して敬意をもって接し、その素晴らしい伝統・特質を尊重するのは、私たち日本人にとって何ら特別なことではないということを、まず申し述べておきたかったからです。

 そこで、私が信仰する黒住教について簡単に紹介させていただきます。西暦14世紀頃から、私の先祖は代々神道の神官をつとめてきましたが、今から202年前の当主であり神官であった黒住宗忠が啓示を受けて、人々が教えと救いを求めるようになって自然発生的に誕生した宗教が黒住教です。神道の信仰伝統をそのまま受け継いだ教えを説き明かしたことから「神道の教えの大元」とも称えられてきました。太陽とりわけ昇る朝日に顕現する万物の親神天照大御神、その御徳・御光の中で神秘的なはたらきをもたらす八百万神、そして天地自然の真理を説き明かした教祖黒住宗忠神を信仰の対象として尊崇し、人が誰しも潜在的に有する“神の心”を養うべく「誠を尽くすこと(誠心誠意、真剣に生きること)」を信仰生活の最も大切な基本としています。

 神道の大らかな伝統を受け継ぐ黒住教の宗教対話の歴史は結構古く、20世紀初めにはすでに私の祖父である先代の黒住教第五代教主を中心に地元岡山の諸宗教者が定期的に集って懇話の時をもっていました。そして、40数年前の世界宗教者平和会議(WCRP)発足時より現六代教主は設立メンバーの一人として関わってきました。

 近年は次期教主である私が、黒住教の宗教対話・宗教協力に関する活動に携わっていますが、国内の関係各位から厚い信頼をいただき、たびたび大きな役を預かってきました。

 とりわけ、西暦2000年8月末から9月初めにかけてニューヨークの国連本部総会議場を主会場として開催された「ミレニアム世界平和サミット(通称:国連宗教サミット)」に際して、日本使節団の幹事長を仰せつかったことは身に余る光栄でした。神道の総本宮たる伊勢の神宮の大宮司様と日本仏教の母山たる天台宗の座主猊下を日本使節団の大代表としていただき、日本の宗教対話・協力活動を牽引してきた世界連邦日本宗教委員会と世界宗教者平和会議日本委員会という二大組織の全面協力を得て使節団が結成され、そのお世話役を当時30歳代の若輩者である私が務めさせていただいたのでした。実は、30年前にヨハネ・パウロ二世教皇猊下の呼び掛けで本会が開催されたことが機縁となって、翌年の1987年に世界から主な宗教者が集って「比叡山宗教サミット」が大々的に開かれました。来年の30周年記念の「平和の集い」に向けて現在その準備が最終段階に入っていますが、先日「日本宗教代表者会議」なる主催団体の設立準備委員会が開かれ、あろうことか私が委員長を拝命しました。54歳という今や若輩とは呼べない年齢ではあるものの、こうした大変重い役目を与えられたのも、ひとえに神道の伝統を純粋に受け継ぐ黒住教への他宗教の方々からの大きな信頼をいただいているからと、まことに有り難く光栄に思っています。海外からの宗教指導者各位にも多数ご出席いただき、30周年記念の大会が有意義な大会になるように誠を尽くす所存です。

 世界の平和を願い祈って世界的規模の宗教対話が推進されることが重要なことであることは申し上げるまでもないことですが、一方で困難を克服しながら地道な努力を重ねていかなければならないのが、それぞれの地元での宗教対話・協力の実践だと考えます。国連が掲げる有名なメッセージ“Think Globally, Act Locally(地球規模で思考し地元で行動する)”の精神は、本日この場に集った他者に対して寛容な宗教者各位にこそ共有され、推進されるべき課題だと思います。得てして「総論賛成、各論(具体論)反対(もしくは不可能)」という壁に直面しがちな現実を乗り越える努力をこそ、ともに決意したいものであります。

 私と友人たちが取り組んできたささやかな“ローカルチャレンジ”の紹介をもって、私の発言を終えたいと思います。

 今からちょうど20年前の1996年に、私が事務局長をつとめる人道援助宗教NGOネットワーク(RNN)が発足しました。私の地元である岡山は、国際的にも有名な神戸と広島の間に位置する日本の一地方都市ですが、この地に本部、支部、教会・寺院等のある諸宗教の指導者および信仰者が集って、人道援助活動を共通テーマにした宗教協力団体を立ち上げたのでした。岡山には、国連経済社会理事会(UNECOSOC)総合協議資格NGOである国際医療団体AMDAが本部を構えていて、世界32カ国にある支部のネットワークを活かして多国籍医師団による各地の紛争や自然災害による被災者救援、医療・衛生分野からの社会支援を30年以上にわたって展開しています。RNNは、発足以来AMDAと連携して後方支援活動や犠牲者追悼の合同慰霊祭等を諸宗教で取り組んできました。助かった命の救済と傷ついた身体の治療は医療従事者が中心となって行いますが、失われた魂の慰霊の祈りは宗教者ならではの大切な活動であるとともに、遺された家族の心の傷の治癒として被災地で必要とされる行為です。私たちは「祈りに基づく行動と行動を伴う祈り」を合言葉に、苦しみの中にある人々に寄り添う人道援助活動を諸宗教が協働して展開することで、結果的に宗教の違いを超えた信頼の絆を構築しています。

 対話を否定するものでは決してありませんが、互いに対面して語り合うこと以上に、共通する人道的な目的に向かって行動を共にすることによる相互信頼の効果を、私たちは体験的に学んできました。具体的な活動実績は小規模であっても、このような地域に根差した取り組みが世界各地各所で実践され、本日の集いのような世界の宗教指導者が集まる国際的な対話の場でローカルネットワークの情報交換がなされ、それぞれの特性と課題克服のノウハウが共有されて、より多角的な活動に発展することが、ひいては世界の平和構築につながると信じて、私たちのローカルな活動を紹介させていただきました。

 最後に、西暦2004年、スペイン・バルセロナで開催された万国宗教会議の開会式で2000余名の出席者を代表して私が唱えた神道の祈りの言葉を捧げて、私の発言を終えさせていただきます。

 「私たちは、日本の伝統宗教である神道の精神に基づき、地球上のあらゆる存在の中に神聖なる神のはたらきを認め尊重するとともに、その大元たる活力源として、太陽に顕現されるはたらきの中に、私たちが天照大御神と称える万物を生み育てる親神の存在を確信します。宗旨・宗派によってその呼び名は異なっても、すべての命の親神たる大いなるはたらきの中で私たちは生かされて生きています。異なる価値に根ざす対立や憎しみを克服し、直面する様々な違いを超えて、共通する尊いはたらきに感謝して誠心誠意生きることにより、森羅万象、あらゆる存在が共に栄えることを願い求めて、世界の大和を祈ります。
 謹みて天照大御神の御開運を祈り奉る」
 ご清聴、まことに有り難うございました。