黒住教の本部は岡山市尾上神道山(おのえ・しんとうざん ― JR岡山駅から西に車で約15分)にあり、岡山市街地からはるか瀬戸内海を見はるかす頂上(海抜120m)に「日拝壇」があって、ここで、教主を先達に毎朝、日の出を迎え拝む「日拝式」が、欠かさず執り行われています。この境内地約30万平方m(10万坪)の丘陵地には本部神殿である「大教殿」をはじめ、教祖宗忠を中心とする代々の教主の墓、信者(道づれという)の分骨墓である「お道づれ生族の墓」のある「奥津城(おくつき)」があって主な祈りの場となっています。
神道山(東上空より)


なお、日々の神前への主要な供物でもある「神水(しんすい)」は、大教殿の斎庭の地下深くにある「神井」から毎朝汲み上げられる真清水で、毎朝の日拝式に供えて祈りが込められ、「御神水」として信者に尊ばれています。水質は常にペーハー(PH)7で、多彩な要素を含む美味な飲用水として専門家の評価も高い。また、毎年春と秋に開講して100日間の修行を通して黒住教の布教師を養成する「黒住教学院」があり、ここには通信教育方式で教えを学ぶ部門と、教団の月刊機関誌「日新」の編集をはじめ書籍頒布を担当する「日新社」があります。さらに、黒住教教典の原典である教祖の書き残した短歌や手紙、そして備前焼をはじめ様々な陶芸作品、絵画などを陳列し、会議場のホールも併せ持つ「宝物館・まることセンター」、本部事務所のある「神結館(しんゆうかん)」、宿泊設備のある「鶯鳴館(おうめいかん)」や食堂である「神道山茶店」があり、その周辺には500台駐車できる広場があります。
主な祭りは、春の教祖大祭、夏の大祓大祭、冬の冬至大祭で、昭和49年(1974)に立教の地である霊地大元から神道山に大教殿が遷座以来、秋にご遷座記念祝祭が執り行われています。


・本部神殿「大教殿」について


わが国の古来の信仰である神道は、米づくり(稲作)とともに始まったといわれています。神道の総本宮である伊勢神宮は、古代の米蔵が構造的にそのまま踏襲されていますが、米蔵を人の住居としたのが日本の農家といえましょう。
昭和49年(1974)の大教殿神道山遷座に際し、農家を基本とした建築をと建築設計家浦辺鎮太郎氏に依頼しました。御本殿は伊勢神宮内宮の古材でもって造営されています。教場は300畳のたたみ敷きです。


大教殿(東側面)

 大屋根は板状の玄昌石(宮城県産出)が葺かれ、その上には備前焼作家岡山県無形文化財保持者であった故藤原建氏制作献納の備前焼で千木鰹木棟瓦が設えられています。大教殿の足元は、石鎚山(愛媛県)連峰から運ばれた安山岩が基壇石として使われています。









教祖宗忠生誕の地であり立教の地である大元は岡山市上中野にあり、霊地大元として立教以来160年間教団本部でありましたが、昭和49年(1974)、壮大な日の出を求めて神道山に移りました。
 今日では、教祖生誕の場所に明治18年(1885)に鎮座した宗忠神社を中心に、いわば岡山市民の氏神様的な神域としても多くの人々の信仰を集めています。神域内には、教祖の最晩年に建てられ神殿兼住宅であった「教祖記念館」、平成12年(2000)に建築された信者の納骨所でもある「宗忠神社祖霊殿」、神道山に遷座するまで大教殿であった「黒住教武道館(生々館道場)」などがあります。




大元・宗忠神社
 宗忠神社の主な祭りは神道山とほぼ同じですが、毎年4月に教団最大行事の「宗忠神社御神幸」が斎行されます。これは宗忠神社鎮座の翌年の明治19年(1886)に始まり、戦前戦中に途絶えていたものが昭和27年(1952)に復活した祭りであります。御神体を奉斎した“御鳳輦(ごほうれん)”を中心に、古式にのっとった衣服を身につけた1,000人の奉仕者が、大元から祭典の行われる日本三名園の一つ“後楽園”に岡山市中を通って往復して世界の大和を祈る祭りで、“岡山さくらカーニバル”の中心的な祭りでもあります。また正月の三が日をはじめ「どんど祭」、2月の「節分祭」夏の「大祓い夏まつり」「七夕まつり」は、一般県民市民で境内が埋めつくされるまさに“まつり”となっています。
 なお、10年ごとに宗忠神社ご鎮座記念祝祭が斎行されていますが、平成17年10月16日、30日の両日、ご鎮座120年記念祝祭が盛大に執り行われました。

宗忠神社御神幸(ごしんこう)


・教祖記念館について


嘉永元年(1848)に建築された建物で、教祖は建築に際して信者の代表にできるだけ質素にと特に要望しています。本教第一号の「大教殿」ともいえるこの建物では、教祖在世中、2の日、7の日の月6回、「ご会日」という名のもとに教祖の直々の祈りと説教が行われました。ここでは武士といえども刀を付けては神前に進むことはできず、身分の差別なくまさに人間平等の精神が貫かれていました。なお、この教祖記念館内の“御居間”こそ、嘉永3年(1850)2月25日(旧暦)に教祖が昇天した場所であります。




教祖記念館









江戸時代の最末期の文久2年(1862)、京都市左京区の吉田山の南端に宗忠神社が鎮座しました。
 これは、時の帝、孝明天皇から「宗忠大明神」の神号を賜り、吉田神社からその東南の高台を提供されて建立された神社で、孝明天皇の仰せ出された唯一の「勅願所」(天皇陛下が国・国民の平安を祈る社寺)ともなりました。




京都神楽岡・宗忠神社
元治元年(1864)のいわゆる「蛤御門(はまぐりごもん)の変」のときのご神慮(しんりょ)は、この神社の歴史を物語っています。春秋の例大祭には教主が正式参拝しています。