姿なき心を生けてつかいなば
天が下にぞみちわたるらん(御歌六一号)
ご分心を養うとは、心をい(生・活)かすことです。その心の本は、天照大御神のご分心(わけみたま)で、本来、丸く明るく陽気に満ちた、まさにいきいきとしたものです。しかし、人の心には我欲や執着が湧きますし、つい腹を立てたり物を苦にしたりして陰気になりがちです。そこで、心をいかすには、そうした陰気な心にならないように心の祓いにつとめ、何事にも感謝して生きること、すなわち〝ありがとうなる〟ことが大事です。
この御歌の主旨は「人の心は元来、姿の無いものだが、これを生かしてつかうならば、天地に満ち満ちている天照大御神の大御心とわがご分心は本来一体であるから、この世界はわが心の中という場に至るであろう」です。
第二句の「心を生けて」とは「心をいかす」との意味で、心をいかしてつかうということは、ご分心を養うべく誠を尽くすことと言えます。その誠とは、世のため人のために尽くそうとする心であり、〝大御神様の大御心〟なのです。また、大御神様の大御心にかなう心とも言え、「有り難き・面白き・嬉しき」の三喜の心を備え持つことが誠となります。
「有り難や、心一つにていつまでという限りなき命ということをおかげにてさとり、嬉しさのあまりかくよめり」と端書きし「天つちにおとらぬほどのいきものはおのが心と思ううれしさ」(御歌一六号)と詠じて、教祖神は〝天命直授〟によって大御神様とご一体になった歓喜を表されています。
教祖神は、そうした〝神人一体〟の境地に至るべき道筋を簡潔に「姿なき心を生けてつかいなば」とご教示下さっているのです。それはただ単に、ご分心を活用するという意味だけではなく、自然(天)のおはたらきで若草が生き生きと伸びていく姿、生命の滔々たる流れに一致する姿を「生けて」と表されたものと伺います。
大御神様ご一体の教祖神の御瀬踏に倣い、陰気を祓い陽気を養って心をいかしご分心を養っていけば、ご神徳は天地に満ち広がり、天地を包容します。まさに、お互いの心、ご分心は有り難きかなです。教祖神の御教えの原点に立ち返ってまいりましょう。