日々家内心得の事
一、人の悪を見て己れに悪心をます事
恐るべし 恐るべし(御七カ条第四条)
かつて、お笑いコンビのツービートのビートたけしが漫才で披露したネタから生まれた「赤信号みんなで渡れば怖くない」とのジョークがあります。法律で禁止されていることも集団になると、心理的な抵抗も無く行ってしまえる集団心理を表しています。まさに、人の悪を見て、自分の悪心を助長してしまう代表的な心理状態です。
人はついつい、あの人がするくらいだから自分もやって大丈夫だと思いがちです。しかし、それは大間違いです。他人にはおおらかに、己れに対しては厳しくということが、お道を修めようとする人の大切な心構えといえます。ところが、ちょっと油断をすると、これくらいのことは構わないと、自分を許していくようになり、道の取り外しとなるのです。
また、「自分は潔癖家で不正は決して行わない」と言う人も、大きな神の目からすれば、相手を許す心や誠心に欠けていることがあります。また、自分の価値観だけで正しいと思って行っていることが、第三者の目では悪い場合も多々あるのです。
文政七年(一八二四)の御文三五号に「この方先方のぬけをとがめず、この方の清き所ばかり打ちぬき候えばよろしくござ候」と記されています。文政四年頃からお道は大変な勢いで広がり、文政六、七年頃にはお寺や祈?師が妬み嫉みから、教祖神を誹謗中傷するようになりました。しかし、教祖神は「こちらは先方の落ちどをとがめず、こちらの清いところだけを貫きましたらよいのでございます」と、こうした場合の取るべき道を明示されています。いくら自分が間違っていなくても、いや間違っていなければいないほど、人をとがめたり恨んだりしないで、ますます自らを正していく道をつとめられたのです。
そして「このほうに悪心さえござなく候わば、あしきと見え候も、あとは有り難きことに相成り候ものなり」(御文一六四号)と、「この方に悪心さえございませんでしたなら悪いと思われますこともあとは有り難いことになるものです」とご教示下さっています。
悪心とは道徳的、法律的といったことに止まらず、教祖神におかれましてはご分心を傷める心の用い方であったと拝察します。