天照らす神の御徳は天つちに
みちてかけなき
恵みなるかな(御文八五号)

 今月の御教えは今日、私たち道づれが「食前の祈り」として拝誦する御神詠です。教祖神がご生誕になった安永九年(一七八〇)の天皇は光格天皇ですが、かつて道づれが食前の祈りとして奉唱していた御歌は、光格天皇の御製「世の中の食物着物何ごとも神の御法のほかなかりけり」で、教祖神の御歌と相通じるものです。

 御神詠は「天照大御神の御徳は天地に満ちて欠けない御恵みである。有り難い」との意です。一方、御製は「世の中の食べ物や着物など全ての物は神の教化による御恵みである」といったご主意です。人はもとよりこの世の生命あるものの全てが、大御神様のご神徳によって生かされて生きていることに感謝する大事が詠み込まれていると伺います。

 「教祖様の御逸話」(日新社刊)に、この御歌ができるに際しての経緯(「おっと、歌になりました」)が紹介されています。

 あるお講席で教祖神が、大御神様のご神徳を声高らかにお説きになろうとした時、「天照らす神の御徳は天つちにみちてかけなき恵み」と、五・七・五・七・三と名調子で天言が口を突いて出て来られました。そして、「恵み」の後に自然と「なるかな」との四音の歌言葉を付けて、「おっと、これは歌になりました」と仰せになったと伝えられています。大御神様のご神徳を称え奉る、誰もが分かる意を尽くした御歌が、お説教中に浮かびのままに現れたのです。

 教祖神が神人一体の境地となられた「天命直授」を通じて明らかにされた神観は、古来太陽神と皇祖神として受け止められていた天照大御神を、それにとどまらず森羅万象全ての親神として捉えたものでした。

 科学がいくら進歩しようとも、自然のはたらきには遠く及びません。その自然の御恵みをいただいて、私たち人間も生きていくことができるのです。殊に「人は、大御神様のご分心(わけみたま)をいただく神の子」ですので、まさに大御神様は私たちの親神といえます。

 旭日を大御神様の象徴として崇め、その生々発展のエネルギーを一切万物の親神である大御神様のご神徳として称え、地球上に満ちて欠けることのないそのおはたらきに〝感謝の誠〟を捧げてまいりましょう。