有り難やあら面白や面白や
心の雲のはれわたるとき(御文二四五号)

 御文二四五号のこの御歌の前文には、「天道まかせほど、世に安心なることはござなく候。心安く暮らし候こそ、高天原と存じ奉り候。その原こそ神はましますと存じ奉り候。心くもるときは迷いなり。迷いの中には、鬼も蛇もおり申し候。まことに恐ろしきは迷いなり。心明らかなるときは、すなわち天照大御神わが一心にあらわれ給いて、運をそえ給うこと疑いあるべからず。ありがたし、ありがたし、ありがたし」とあります。

 天照大御神にお任せすれば安心であり、心安く大安心に暮らすところが高天原で、その高天原にこそ神々はおられるのです。そして本来、「神人不二」(神と人とは二つにあらず)であり、この身このまま神であることを実に明快にご教示下さっています。そして我欲我執、疑いや臆病のために心(ご分心)が曇るとそれが鬼や蛇となるが、反対に心明らかなるときは、迷いは無くご分心のおはたらきを存分にいただくことができ、大御神様がわが一心に現れて開運をもたらして下さること間違いなしと断定し、「ありがたし」を三度も繰り返してお認めになっています。まさに何の作意もなくご講釈の天言と全く同じで、浮かびのままに有り難さを記されたものでしょう。

 その境地を詠まれた御歌が、今月の御教えです。「ああ、有り難い、ああ、面白い、面白い。心の雲がすっかり晴れると」という心明らかなるときを、そのままに詠じられたものと伺います。

 御文二四五号は、いわばおかげをいただく秘訣をお示し下さったものといえます。人の本心は、大御神様のご分心(わけみたま)であり、大御神様とご分心は直結しているという「生命の教え」の根本が「心明らかなるときは、すなわち天照大御神わが一心にあらわれ給いて、運をそえ給うこと疑いあるべからず」の一条に表されています。幾度となくこの一条と御歌を拝誦して、しっかりと心に刻み込んで下さい。

 私たち道づれは、大御神様、またご一体の教祖神がわが心に現れて運を添えて下さるような信仰に励まなければなりません。ですから、心明らかになる(心を澄ます)ために〝心の祓い〟に努めるべく、感激感動そして感謝の心を培ってまいりましょう。