心が活きれば、形はいきる。─
面白く楽しく、心にたるみ無きように一心が生きると、人は活きるなり。(御教語)

 「教祖様の御逸話」(日新社刊)に「奥村圓左衛門氏の開眼」があります。

 盲目の奥村氏(岡山藩士)が、「二七(二と七の付く日)の御会日」に、家人の助けを得て欠かすことなく丸三年間参拝を続けました。「目が見えるようになりたい」との一念から、教祖神のご講釈を拝聴するとともにお取り次ぎをいただき続けたのですが、開眼のおかげを受けることはありませんでした。

 そこで、ちょうど三年目の御会日の日、奥村氏は教祖神にお別れの挨拶をしました。「私の信仰が足りず、他の方のようにおかげはいただけませんでした。私のような者がいますと、大先生の御徳を傷つけますので、本日をもって参拝するのを遠慮します」と。

 すると、教祖神は拍手をして「実に大きなおかげを受けられましたね。有り難い!」と仰いました。そして「月六回の御会日に丸三年といえば二百回以上。不自由な身でありながら、一回も欠かさず元気にお参りすることが叶いました。また、家族が病気になったり、何か事があったりしても参拝できなくなります。まことに有り難い!」と言って、再度拍手をされました。

 教祖神の御言葉に心打たれた奥村氏は「私は間違っていました。有り難うございました」と言って、杖を突くのも忘れて表に飛び出し、ただ有り難い一念に何もかも忘れて家路に就きました。まさに心晴れ晴れとなった奥村氏は、涼しい川風が頰に当たるのを感じ、思わず目の見えないことを忘れて「ここはどこか…?」と目を向けますと、岡山の街の中心を流れる旭川の賑やかな光景が両眼に映ったのです。

 心の目が開いたことにより、肉眼にも有り難いおかげを受けた尊い御逸話です。まさに心が活きることにより、形も生きたのです。「教祖宗忠神御小伝」(星島良平高弟著)にある「道の理」の一節「面白く、楽しく、心にたるみ無きように、一心が活きると人も活きるなり」と同じであり、「この道は病直しの道にあらず、心直しの道なり」(御教語)とも御教え下さっていますが、心の用い方と徹底感謝の大事を思い知ることです。