活き死にも福も貧苦も心なり
御礼ここを知るこそ誠なるらん(御歌七一号)

 今号の「御教え」は、令和四年三月号の「生き死にも富も貧苦も何もかも心一つの用いようなり」(御文九二号)と相通じる御神詠です。「生き」を「活き」、「富」を「福」と表されています。

 「活物を捉えよ」(教えの五事、また三十カ条)の「活」で、「人を活かす」また「生きて働く」といった意で用いられます。また「福」は「幸福」を意味するのが一般的ですが、「天の助け」「神の恵みが豊か」を表すのが原義で、御祭りに供える「御神酒」をも意味しています。「示」は「祭壇」で、「畐」は徳利にお酒を豊かに満たした様を表している象形文字で、まさに御神前といえます。

 さて、「教祖様の御逸話」(日新社刊)に「長所をお生かし」があります。教祖神が奥様をはじめ家人に接するときは、その人の十のうち九つまでが悪いことであっても、一つの善いところを褒めたたえられました。そういうわけで、家人は、教祖神にお褒めいただくことを無上の喜びとし、自ずと九つの悪いこともよい方にと向かって、過ちも少なくなっていったといいます。

 逆にもしも、十のうち九つまでは善であっても、一つの悪を怒り、懲らしめ、あるいは激しくののしり、また他人に向かって中傷するようなことがあれば、その性質は悪くなり、九つの善いことも自然に悪くなってしまうものです。

 教祖神の人をお活かしになる御心を、まことに尊く有り難く思います。教主様からお示しいただいた、昨年と今年の信心心得は「活かし合って取り次ごう! 〝ありがとうなる〟有り難さ」ですが、教祖神のように「活かし合う」ことをつとめなければなりません。その心こそ、「誠」といえます。

 この御歌の下の句の「ここを知るこそ」の「知る」とは、頭で理解し、知識として分かったというのではなく、体取・体得することで、天地の活物と一体になることをお示しになっています。そして、その活物こそ、大御神様の大御心であり、私たちが大御神様からいただいているご分心であり、「誠なるらん」とそれこそが誠であると詠じられています。自他ともに心を活かし、陽気を養い、ご分心のご存在を体取するべく、御教えを学びつとめてまいりましょう。