大願成就仕り候得ばまた一万度
御礼に執行(修行)仕るべく候ものなり
千早振る神世は知らず今の世に
かかるためしはよもやあるまじ(御歌一二七号)
天保六年(一八三五)三月から四月にかけて、教祖神は五回目となる伊勢参宮をおつとめになりました。教書「雑集の部」の二四号(伊勢御参宮日誌)には「十八日千度、十九日千度、二十日千度、二十一日千度、二十四日二千度、二十五日千度、二十八日二千度、二十九日千五百度、一日千五百度、二日四百度、三日千六百度」と、奏上したお祓い(大祓詞)の数(計一万四千度)が書かれていて、教祖神はご参宮の道中、懸命にお祓いを上げて心を澄まされています。
同じ天保六年、教書の「御年譜」には「五月下旬より岡山西大寺町紅屋与介の病気平癒の御祈念あり、御祓の数七千百六十。与介の病気平癒せしときの御歌に、『千早振神世はしらす今の世にかゝるためしはよもや有まし』とあり」と記されています。
教祖神は、お道づれの紅屋与介氏の当病平癒のために、〝万度祓い〟(一万度のお祓いを上げての御祈念)をおつとめになっています。教祖神が、いかにお祓い修行を大切にし、お道づれのために〝祈りの誠〟を捧げておられたかが窺われます。まさに、「神代はいざ知らず、今の世にこのような例しは、まさか無いであろう」というほどの起死回生のおかげを取り次がれたのでした。
そして、決して見逃してはならないのがこの御歌の「はしがき」です。「大願成就したならば、また一万度御礼に執行(修行)します」と、心願を立てておつとめになっているところです。結果的に七千度を越えたところで与介氏の病気が快方に向かい、その後、教祖神は〝感謝の誠〟を捧げるべく、はしがきの通りに一万度の御礼のお祓いを上げられたのです。祈りと神恩感謝はかくあるべし、というところをお示し下さっています。
一方、おかげを受けた与介氏はその後、夫人と共にご神恩に感謝して神文を捧呈し、一層にお道信仰をつとめたとのことです。(黒住教教書「門人名所記」天保九年)
なお、本教においては〝千度祓い〟のご祈念によって奇跡的なおかげをいただいた方が数多くおられます。教祖神のようにお一人でお祓いを上げられるのも実に尊いことですが、大勢のお道づれが力を合わせて奉唱すると、また格別の有り難さがあり、格別のおかげが現れてきているのです。お道づれ(連れ)たるゆえんです。