一日に、百事の内に、
九十九の凶事有りても、
一つの吉事あれば、
その一つの吉事を喜べば、
自然と九十九の凶事も消えるものぞ(御教語)
教祖神の御教えは、感激感動そして感謝の心を養う道といえます。そして、そうした心を持つことが〝開運の源〟となります。徹底したプラス思考で陽気な心を養い「ありがとうなる」ことに努めることが、お道信仰の基本姿勢です。
かねて本項においてもご紹介してきていますように、教祖神は流行病で一週間のうちに相次いでご両親を失われました。その悲しみが元で心を陰気に閉ざした教祖神は、労咳(肺結核)となり生死の関頭に立たれましたが、今生の別れにつとめた御日拝により、心が「陰」から「陽」へと大転換し、九死に一生を得られたのです。
その際の様子を星島良平高弟は「教祖宗忠神御小伝」に「面白く、楽しく、おもいかえして心を養い、心さえ陽気になるならば病は自から癒ゆべきはずなり。ただ一息する間にても心を養うが孝行なりと思いさだめたまい、見るにつけ聞くにつけ天恩の有り難きことを思惟い、一向心をもって心を養い給いしより、日々にうす紙をへぐ(はぐ)が如くに快方に赴わせたまう」と記しています。
教祖神は、いわば〝徹底感謝〟のたゆまぬ努力によって、病を乗り越えられたのです。まさに、一日を百として九十九の凶事だらけでも、一つの吉事を喜び感謝することによって九十九の凶事も消えて無くなったのです。その一つは、苦しみの中にあっても生きていられるということであったと伺いますが、そこに「天照大御神様に生かされている」という感謝の念を持ち続けられていたのです。
教祖神直門の直原伊八郎大人の「教祖御講釈聞書」に「萬事につきて、こそということを付け、思うべきなり。神がおわしましたればこそ、天地も出来、萬物も生ぜしなり。天子様があればこそ、我々人間安穏に暮らされ、親がありたればこそ、この身もあり。子があればこそ、子孫長久。米があればこそ命もつづく。さて有りがたきことじゃと思い、かくのごとく一つずつ、こそを付くれば、まことに皆有りがたくなる。しかし必ず、こそを二ツは付くべからず。必ずあやまってこそこそと横道へ行くまいぞ」と、教祖神の御講釈が書かれています。
私たちも、開運の秘訣といえる「こそ」の人生を歩んでまいりましょう。