心から生きる人こそかしこけれ
死ぬる人こそあほうなりけれ(御文八七号)

 この御神詠は御文八七号に認められていて、その前文には「とかく生き死には毎度申し上げ候通り、心ばかりと存じ奉り候」とあります。また、御歌の後には「ますますおいかし遊ばさるべく候」と記されています。

 「とにかく、生死はいつも申し上げます通り〝心だけ〟であり、心が生きれば生き、心が死ねば死ぬ」という意味です。そして御歌において「心を生かして生きる人は賢いが、心を殺す人は〝あほう〟である」と仰せで、「ますます心をお生かしなさって下さい」とご教示になっています。

 人間は、天照大御神のご分心(わけみたま)をいただく神の子ですが、心の持ちよう一つで、生きもするし死にもするのです。心はいきもの(活物)であり、いきものであることに目覚めれば、誰もがいきものとなります。ですからご分心はいきものであり、「心から生きる」ということは、ご分心をいただく神の子にふさわしい生き方をつとめることで、大御神様の大御心にかなう姿といえます。そこで、教祖神は心を殺して死ぬ人を〝あほう〟とまで言って戒められています。

 なお、教祖神の御教えに「阿房になれ」(三十カ条)がありますが、それとは全く意味合いが違います。この御歌の〝あほう〟とは、世間一般で受け止められている通りの「まぬけ。愚か」といった意味です。

 ところで、御歌に続いて「ますますおいかし遊ばさるべく候」と仰っていますが、「何事もいかしなさい」とお示し下さっているのです。一切をいかすことを「丸いかし」といいますが、「いかす」には三通りあります。まずは「相手をいかす」、次に「物をいかす」、そして「自分自身の心をいかす」です。それら全てを「丸いかし」することで、〝陽気と感謝〟が生じてご分心が養われ、そのおはたらき(ご神徳)を存分にいただくことができ、病気も治るのです。

 まさに、信心心得に示されている「活かし合って取り次ごう」であり、〝ありがとうなる〟有り難さを体得するべく、身の回りの〝ありがとう〟を探し感謝するとともに、〝まること〟の世界の実現を目指し、世の中の〝ありがとう〟を増やしてまいりましょう。