昔思う百層倍の上のこと
叶うてみてもまだ不足あり(御歌一八九号)

 この御歌は、人の「我利我欲」には限りの無いことをご啓示下さっています。人は夢と希望を求めて人生を歩むものです。そして、その昔に抱いた望みが叶っても、それだけでは満足がいかず、更なる欲が湧いてきます。

 そうした人の心理を、以前に願っていた百倍以上のことが叶ったとしても「まだ不足あり」と詠まれています。御歌の原文は「また」と記されています。「また(又)」には「さらに」との意味もありますので「また不足あり」でも間違いとは言えませんが、かねて「まだ」と読んできています。なお、「層倍」とは「倍」と同じ意です。

 ところで、最近のSDGs(エスディージーズ)でも盛んに取り組まれている〝食品ロス〟の問題ですが、そうした無駄を出しているのは人間社会だけといえます。百獣の王といわれるライオンは、空腹のときだけ獲物を捕まえるのです。それ以外のときには、獲物がそばにいても見向きもしないといいます。いかに人間は欲深いものかと反省させられます。

 本誌三月号の「御教え」に紹介しました「まだたらぬまだたらぬとて世に住めばまだたらぬことばかりなりけり」(御文九二号)との御歌にもお示し下さっていますように、足りることを知ることが大事なのです。

神道山の御日拝に重ねて参拝されたことのある河野太通師がかつて管長をおつとめであった臨済宗妙心寺派に属する京都の龍安寺(枯山水の石庭で知られ世界遺産に登録)の〝つくばい(庭の手水鉢)〟には上記のように記されています。「吾唯足知」(吾唯足るを知る)。

 教祖神の御教語を星島良平高弟がまとめられた「三十カ条」には、「足る事を知れ」、「不足が起きたら裸で生まれた昔を思えよ」とあります。コロナ禍中の今、それ以前には「当たり前」であったことがいかに有り難いことであったかが身に染みるところです。また、自然災害の被災者は温かい食事をいただけることの有り難さをはじめ、それまでの日常生活の幸せを実感されています。物の上においては足るを知り、精神の向上においては、「まだまだ…、まだまだ…」と心を養ってまいりましょう。