天照大御神の御神徳は
火丸いかしの御神徳なり。(御教語)

 令和二年三月号の本欄で紹介しましたように、御文九二号に「道はいっさい生かすこと第一と存じ奉り候。何につけても、お生かし遊ばさるべく候。近頃の目付け、いよいよ生かし候ことのみと修行つかまつり候。これすなわち天照大御神の御道と存じ奉り候」とあります。

 「いかす(活かす・生かす)」ということは、相対する人や物の本来の特性を十二分に引き出して発揮させるという意味です。悪い所は取り上げず、よい所だけを取り上げて強調することによって、悪い所を自然に消滅させるというような意味を含んでいます。

 「教祖様の御逸話」(日新社刊)所収の「長所をお生かし」に、そこのところが端的に著されています。人の十のうち九つまで悪いことがあっても、ただ一つのよい面を褒め称えることによって、九つあった悪い面が自然によくなっていったということです。またその逆に、十のうち九つが良(善)であっても、ただ一つの悪い面を怒っていると全てが悪くなってしまうとの御逸話で、「いかし上手」の大事が示されています。

 黒住教の本分は、天照大御神の大道・ご神徳を宣布して、世の病み悩み苦しむ人を救い導くことです。河上忠晶高弟のお歌に
 大御神のみたまを問わば人の親の
 わが子あわれと思う心ぞ
とありますが、大御神様の御心はいかにと問えば、人の親がわが子をいとおしむ心であり、まさに「神ごころは親ごころ」なのです。

 私たちは、この有り難い親ごころによって生かされて生きているのです。そこに目覚めるとともに、私たち自身もまた、大御神様の御心に沿うべく、教祖神の御瀬踏に倣って、その「丸いかし」の道をつとめていかなければなりません。石尾乾介高弟のお歌の通り
 我もいき人もいかして天地の
 誠の中に遊ぶ楽しさ
を実践することによって、「丸いかしの御神徳」がいただけるのです。