下積みとなれ。
─縁の下の力持ちをせよ。(御教語)
「下積み」とは、他の物の下に積むこと、積まれること、またその物のことです。一般的に、表舞台に立てない修業時代などのことを言い、「下積み経験が今に生きています」といった表現にも使われています。いわば「難有り有り難し」に相通ずるところです。
一方、「縁の下の力持ち」とは、人に知られずに陰で努力・苦労していること(人)をいいますので、「下積み」という努力の上で、他を生(活)かすとともに自分自身の生きる道も開かれていくことを、今月の御教えはお示し下さっています。
伝御文一五号に「我も生き、人をも生かし、楽しみ暮らし申し候」と、教祖神は記されています。また石尾乾介高弟は「我もいき人もいかして天地の誠の中に遊ぶ楽しさ」と詠まれ、赤木忠春高弟は反語的に「我も死に人も殺して天地の誠の外で遊ぶ悲しさ」と詠じられています。まさに「いっさいをい(生・活)かす」ことの大事をお示し下さっています。
しかし、人間には〝我〟が付き物ですので、大方の宗教が我の問題を人間そのものの問題として取り組んできています。仏教は「我執」を断つことをいい、キリスト教は「自己犠牲」、そして黒住教においては「我を離れる」ことの大切さを説くのは、そこに本当の我を、真の自己を生かす道があるからです。
かつて五代宗和教主様がご教示下さった「奉仕はしてあげるのではなく、させていただくもの」という心構えが、本教のボランティア精神となっています。世のため人のために〝奉仕の誠〟を捧げることこそ、自分自身の〝真の喜び〟となります。そして人皆が、天照大御神よりいただいているご分心(わけみたま)が大きく養われ、生きよう・育とう・幸せになろうとするご分心本来のおはたらきを存分にいただくことができるのです。
まさに、昨年と今年の修行目標の「活かし合って取り次ごう! 〝まること〟の丸い心 丸いはたらき」の実践となります。下積みや縁の下の力持ちをつとめることは、〝開運の基〟となるのです。