君東におもむき給うをことほぎ奉りて、かく祝しはべる
天照らす神もろともに行く人は
日ごと日ごとにありがたきかな(御歌一三号)
この御歌は参勤交代で江戸詰になる門人の備前藩士に対して、教祖神が祝辞代わりに詠じられたものです。その門人が江戸に出立するに当たり、教祖神にご挨拶に伺った際、「岡山の地を遠く離れてしまいますと、大先生の直々のご教導がいただけませんので、寂しくわびしい限りです」と申し上げると、教祖神は「いやいや、そうではありませんよ。江戸詰は有り難いことです。心よりお祝い申し上げます」と仰って、この御歌を贈られたといわれています。
「形の上では遠く離れて寂しいことでしょうが、あなたは一人で江戸へ行くと思ってはいけません。天照大御神様の御供をしていくのですから」という、親ごころ溢れる思いやりの御心がこもった御歌です。
私たち道づれとしては、「大御神様ご一体の教祖宗忠の神様もろともに行く人」と受け止めることが大事です。また教祖神は「毎朝、御日拝でお目にかかりましょう」とお呼び掛け下さっています。お日様、殊にお日の出の中に生き通しに坐します教祖神を仰ぎいただくのですから、常に「大御神様と倶にあり」また「教祖神と倶にあり」との信仰を持つことが大切です。
腹を立て物を苦にしたり、臆病や疑い、不平不満等の心が起こった際、「教祖神は、今の私をいかに思われるであろうか」と反省することが大事で、お道信仰の根本姿勢といえます。そして、こうした生き方をつとめるところに「日ごと日ごとにありがたきかな」とのおかげがいただけるのです。
黒住教は、〝開運の宗教〟といわれていますが、この御歌は開運の秘訣(こつ)を詠まれたものといえます。大御神様のおはたらきが顕現される(目に見える形で現れる)昇る朝日のように、自分の心を丸く大きく逞しく明るく温かく生き生きとさせ、常に周囲を活かし助けるように心掛けることで、わがご分心を養い、そのおはたらき(ご神徳)を存分にいただいて〝開運の道〟を歩むことができるのです。