陰徳を積め(御教語)

 「陰徳」を国語辞典で引くと、「人に知られぬように施す恩徳(恵み、情け)」と記されています。その対義語が「陽徳」で、「世間によく知られるようになる徳行(道徳にかなったよい行い)」といった意味です。また、易で陽徳は「万物を生成させる宇宙の徳」、すなわち「天照大御神の御神徳」を表しています。

 「教祖様の御逸話」(日新社刊)に「いんとくについて」という、次のお話が収められています。
 ある人の
 「私は陰徳を積むために、哀れな者を見れば、物を恵みいたわってやります」
との言葉に、教祖様は、
 「それも悪いことではないけれども、日々の家業を大切にして、他との取り引きごとに、少しも無理のないようにして、少しでも世のためになることをするのが陰徳に近い」と仰せになりました。

 短文の御逸話ですが、教祖神が陰徳の真意を明確にお示し下さっています。一般的には、陰徳は冒頭に記した通りですが、それはまずもって「人として行うべきことが誠実につとめられてこそ」とご忠言下さっています。教祖神の説かれた御教語に「人となるの道 即ち神となるの道」とありますように、「人は、天照大御神のご分心(みわけみたま)をいただく神の子」で、真の人となる道こそ、神の子の道といえます。相次ぐ自然災害を通じて、ボランティア(奉仕)活動の尊さが再認識される今日、まずはわが姿勢を正して世のため人のために〝奉仕の誠〟をつとめてまいりましょう。

 かねて、本誌において紹介してきていますように、「奉仕は『してあげる』のではなく、『させていただく』もの」という五代宗和教主様のお言葉が、本教のボランティア精神となっています。世のため人のために〝奉仕の誠〟を尽くすことは自分自身の〝真の喜び〟となり、わがご分心が大きく養われ、ご分心(心の神)のおはたらきを存分にいただくことができるのです。まさに修行目標の「〝まること〟の丸い心 丸いはたらき」となります。