何をするのも
天地日月のためと思えよ(御教語)
「謹みて天照大御神の御開運を祈り奉る」(御開運の祈り)は、本教の最も大切な祈りの詞です。教祖神は、当時徒歩で往復一カ月を要した伊勢神宮への参宮を、そのご生涯で六度もおつとめになっています。何度目の参宮かは明らかではありませんが、伊勢神宮の神官に「ご願意は?」と尋ねられた際、「畏れながら、天照大御神の御開運をお祈り申し上げます」とお答えになりました。神官は不思議に思い再度聞き直すと、教祖神は「我が願いただ一つ。我が祈りただ一つ。我れただ、偏えに天照大御神の御開運を祈り奉る」と凜としたお声で答えられたということです。
宗教学の専門家が「『神に神の開運を祈る』というコペルニクス的転回(それまでの天動説から地動説に大逆転したことで、物の考え方が、がらりと正反対に変わること)」と驚嘆されたことがあります。また、伊勢神宮の少宮司で後に本教の学事顧問をお務め下さった幡掛正浩師が「あらゆる宗教という宗教、日本だけでなく世界の宗教という宗教の、結局、一番奥深いところをひとことのもとに道破(言い尽くす)した言葉」と絶賛されたのが、「御開運の祈り」です。
万物の親神である天照大御神の御開運を祈るということは、大御神様のご神徳がより一層に天地自然に満ちわたり、その結果、〝おかげ〟として私たちに授けられることになるのです。
このような祈りに限らず、私たちの「日常の行い」も大御神様すなわち「天地日月」のためという思いをもってつとめる大事をご教示下さっているのが今月の御教えです。いわば〝親神孝行〟であり、〝真の親孝行〟といえますが、大御神様、ご一体の教祖神、そして私たちのご先祖の御開運を祈り、〝奉仕の誠〟を日々の暮らしの中につとめていくことが、巡り巡って自分自身におかげを授かることにつながります。まさに〝まることの祈り〟であり、修行目標の「〝まること〟の丸い心 丸いはたらき」をつとめることで、開運の道を歩むことができるのです。