天つちとおないどしなる道の友
かわり給うなよろずよまでも(御歌一五号)
かぎりなき命の道をみちびかん
重ねたまえよよろずよまでも(御歌九二号)
「活かし合って取り次ごう! 暮らしの基本に“敬神崇祖”」の修行目標を眼目に教祖神の御教えをいただいてきましたが、今号をもって締めくくりとさせていただきます。新年号からは「活かし合って取り次ごう! “まること”の丸い心 丸いはたらき」をテーマにいただいてまいります。
「人は、天照大御神のご分心(みわけみたま)をいただく神の子」で、大御神様と人とは本来、一つであるとの「神人不二」の御教えが本教教義の中核をなしていることを毎号のようにお話ししてきました。そして、そのご分心のおはたらきは「生き通し」のご存在です。教祖神は、「生き通しこそ道の元」(御教語)とお示し下さっています。「生き通し」とは、永遠に滅びない生命といえます。肉体は形であり、やがてその形を脱ぐ時(昇天)がやってきます。しかし、ご分心のおはたらきは“永生”なのです。
本教の死生観は「人の死は、終わりの時ではなく、八百萬神の一柱となる新たな出発の時」です。今号の二首の御神詠にお示しのように、お互いの先祖の御霊は私たち子孫の守護神として、生き通しにおはたらき下さいます。人には必ず親・先祖があり、血脈によってご分心の器といえる肉体が継承されていくのです。いわば、長い長い生命の流れにおける一つの輪であって、決して孤立した存在ではないのです。ですから、この世に生かされて生きている今日の私たちの存在も生き通しといえます。
この世には“今日只今”という目の前のことだけが実在しているのですから、過去も未来も今日只今を基として存在することになります。教祖神は、その今日只今を陽気な心で一所懸命に生きる大事をご教示下さいましたが、それは生き通しの道に繋がるのです。
「生きる」ということは、天地の誠と人の誠を一つにする営みであり、そこに〝生き通しの生命〟を得る道があります。「神人不二」なる存在の「日止まる人」が、ご分心を養い育てて「神人一体」となるところにこそ“人生”があるのです。このお道が「人となるの道即ち神となるの道」たるゆえんです。