親を思う子の心こそ尊けれ
知らずも叶う道の教えに (三代宗篤様詠)

明治九年(一八七六)十月二十三日、三代宗篤管長様をはじめ当時のお道の先祖先輩方のご労苦により、本教は神道教団の先駆けとして、時の政府の管轄から〝別派独立〟を果たし布教の自由を勝ち得ました。いわば、三代様は今日の教団の礎を築いて下さいましたが、大元・宗忠神社ご鎮座から四年後の明治二十二年(一八八九)九月二十七日に、卒然とご昇天になりました。それから、今年は百三十年となりますが、今号は三代様の御歌をいただきます。

教祖神ご在世中のこと、還暦を迎えた門人が、
「ことしより三つ子になりて天つちのめぐみにそだつ神のふところ」と詠じると、教祖神は返歌として
「ことしより三つ子となるもありがたし赤子となればなおありがたきかな」と詠じられました。

教祖神は、「三つ子になりて」と詠んだ門人の〝道ごころ〟を称えながらも、三つ子以上に何の疑いも持たず素直に全てを親に任せる「赤子となれば」、より一層に有り難いと諭されたのです。

また、「教祖様の御逸話」(日新社発行)の「井中の猫の例話」に示されているように、「離我任天(我を離れて天に任す)」がこのお道信仰の極意といえます。

井戸に落ちた猫を人々が救おうとして、縄のついた籠を井戸の底に降ろしてやると、籠に乗りはするものの、引き上げてもう少しの所まで来ると、自力で飛び出そうとして、また井中に落ちてしまうのです。何度やってもその繰り返しで、次第に猫は弱っていきます。「しょせんは動物だから仕方ない」という人々の声を耳にされた教祖神の目から涙がこぼれ落ちました。そして「これは人間も同じこと。天照大御神様がせっかく助けてやろう、助けてやろうとして下さっているのに、すぐに〝我〟を出してしまう。大御神様がどんなにもどかしく、哀れにおぼしめしになっているかと思うと、泣かずにはおられない」と随行の銀治兵衛さんに仰しゃったのです。

「丸まかせにせよ。─捨てまかせにすな」とご忠言下さっている真のお任せは、親を信じ切って敬慕する子の心にこそ学ぶことができるのです。